メッセージ

1/27巻頭言「新年礼拝『いのししに食われる日―神の民は何を祈るか』」その③

 80:5-6 あなたは涙のパンを彼らに食わせ、多くの涙を彼らに飲ませられました。
 反省なきまま、再び自らの苦しみの現実を語ります。「涙のパン」「涙をのませる」という文学的な表現が印象的です。あなたはわれらを隣り人のあざけりとし、われらの敵はたがいにあざわらいました。そういう不幸な状況は、周囲の人々の嘲笑の的ともなります。「お前たちの信仰した神は助けてくれないではないか」と彼らはあざけられたのでしょう。しかし、この「みんながあざわらいました」と言うことばも、「神様、あなたが笑われているのですよ」と言っているのだと思います。それは、神様が何もてくれないからだと言いたいのでしょう。
 80:7 万軍の神よ、われらをもとに返し、われらの救われるため、み顔の光を照してください。 さらに、神様への「あの要求」が繰り返されます。「私たちを元に戻してください」と。苦難に満ちた現実を受け入れることは大変難しいことです。だから人々は、「あの日に帰りたい」と切望するのです。それは現実からの逃避だと言えます。気持ちは、痛いほどわかりますが、しかし、この祈りが聞かれることはありません。「若かったあの日に戻りたい」と願っても、私たちが若返ることはないのです。では、元の姿とはどういう状態であったのでしょうか。
 80:8~11 あなたは、ぶどうの木をエジプトから携え出し、もろもろの国民を追い出して、これを植えられました。あなたはこれがために地を開かれたので、深く根ざして、国にはびこりました。山々はその影でおおわれ、神の香柏はその枝でおおわれました。これはその枝を海にまでのべ、その若枝を大川にまでのべました。 かつてエジプトで奴隷だった自分たちのことを「ぶどうの木」と表現しています。神様は、奴隷の地から「ぶどうの木」を導き出されました。彼らは長旅の末、「約束の地カナン」に根ざすことができました。山は、神の民のイスラエルの象徴である香柏、つまりレバノン杉で覆われ、地中海から大河ユーフラテスに届くまでに栄えました。しかし、アッシリアの登場によって、その繁栄は尽きたのでした。
 80:12-13 あなたは何ゆえ、そのかきをくずして/道ゆくすべての人にその実を/摘み取らせられるのですか。林のいのししはこれを荒し、野のすべての獣はこれを食べます。
これまで石垣で守られていたぶどう園ですが、今や石垣は崩され通りすがりのような人がぶどうを盗み食いしていきます。林からはいのししや野の獣が好き放題に暴れまわっています。つまり、アッシリアの残虐行為が彼らを苦しめるのです。しかし、彼らは、なぜ、そうなったのかの理由をただただ神様に問うのです。
4.さらなる願い―「そうすれば」 
 80:14~16 万軍の神よ、再び天から見おろして、このぶどうの木をかえりみてください。あなたの右の手の植えられた幹と、みずからのために強くされた枝とを/かえりみてください。彼らは火をもってこれを焼き、これを切り倒しました。彼らをみ顔のとがめによって滅ぼしてください。 「かえりみる」という言葉が二度登場しますが、「省みる」は、後悔の言葉です。彼らは、神様に「かえりみる」ことを促します。神様に反省してもらい、その上でアッシリアを滅ぼして欲しいのです。
つづく

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