生きる

12/4巻頭言「キリスト教愛真高校 卒業感謝会 保護者代表感話 その①」

(2019年3月9日息子の時生が高校を卒業した。その時の保護者感話)
卒業生の保護者の一人として感話の機会を与えられたことを感謝します。最初に卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。一筋縄ではいかないこの学校で、よくぞ卒業の日を迎えられました。私たち家族は、みなさんのことを誇りに思っています。 さあ、卒業です、明日からは恋愛も自由です。どうぞ手をつないで公道をお散歩ください。校長先生をはじめ、教職員の皆さまには、心よりお礼を申し上げます。この学校が、現在の社会に存在し続けていることを神に感謝したいと思います。そこには、愛真の教育に自らの存在をかけて臨んでくださった教職員の覚悟があったことを覚え感謝します。私は、親として二人の息子をこの学校にお願いしたことが本当に良かったと思っています。さらに、卒業生のみなさん、愛真を支援くださる全国の皆様に感謝申し上げたいと思います。
さて、私から卒業される皆さんに申し上げたいことは「この世の中に無駄なことはない」ということです。昨日の音楽祭、さらに今日の卒業感話を聴いて、私はそのことを確信しました。そして、勇気をもらいました。卒業生の皆さん、本当にありがとうございました。
卒業生の感話にもあったように、愛真高校での3年間は決して順風満帆とはいかなかったと思います。つらいこともあった、思いがけないことも経験したと思います。弱い自分に気づいた。原因不明の発熱に悩まされた。どうしてもクラスに出ることができなかった。学校をやめる人との別れがあった。嫌いじゃないのにわかり合えない現実に向き合った。嫌な自分と出会ってしまい、自分を愛せなくなった。生きる意味が分からなくなった。自分を見失い置いてけぼりになった気持ちがした。そして傷つき、その傷がくさり始めた。「ああ、こんなはずじゃなかった」、「なんでこんなことになっちゃったのかな」と思う日があったと思います。私自身、55年の人生で、そんなことがたくさんあり、今も、あり続けています。でも、私が申し上げたいことは、「それらすべては、全く無駄ではない」ということです。このことは、今の愛真高校自体にも言えるのかも知れません。今の愛真高校は、ある意味満身創痍の現状かも知れません。私は、そんなことを申し上げる立場にありませんが、そのように私には見えます。でも、それも「無駄ではない」のです。愛真高校は傷ついている。でも、それは生みの苦しみなのかも知れません。
つづく

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