もうすぐ新刊が出る。「いつか笑える日が来る―我、汝らを孤児とせず」が書名。五年前から出版社と準備してきた本がようやく出る。担当者には本当に迷惑をかけた。八年前の「もうひとりにさせない」の続編。序文は、関田寛雄先生。推薦文は、田口ランディ。
新刊の内容を少し紹介する。・・・・・・私自身が被災地に立ったのは三月末のことだった。私たちは、偏った支援という理念に従い市内を離れ、牡鹿半島に点在する小さな漁村集落を目指した。その中でも最も小さかった集落が蛤(はまぐり)浜だった。自衛隊もボランティアも手が届いていない様子。全壊した家屋は手つかずの状態で、瓦礫を踏み分け集落の奥の避難所へと向かった。迎えてくれたのは区長で長年漁師してこられた亀山さんご夫妻。九州からの物資が数日前から届くようになっていた。亀山夫妻は、九州からの支援物資に助けられていると感謝を述べると共に、その物資に添えられた一通の絵手紙を私に見せてくれた。そこには「生きていれば、きっと笑える時がくる」とのことばがあった。亀山夫妻は、震える手で手紙を見せながら「私たちは、今回の津波ですべてを失いました。でも、今日はこのことばで生かされているんです」と語られた。頬には涙が伝わっていた。
極限状況において、なお人を生かし支えるものは何か。長くホームレス状態の人々の支援をしてきた。食べ物、家、服、そして金、仕事が必要であることはよくよく承知している。しかし、それだけでは人が生きることはできない。イエスは、「無くてならぬものは多くはない」(ルカ福音書10章)と語りかけられた。さらに、「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ福音書4章)とも。あの時、蛤浜の人々を支えたもの、「もう一度生きよう」と人を立ち上がらせたものは何か。それは「ことば」だった。自分のことを心配し、思っていてくれる人の「ことば」が、あの日、確かに人を生かしていた。私たちは、日頃「あれもあったらいい、これも必要だ」と思い生きている。しかし、笑えない日、苦しくて生きていること自体が困難な日、私たちは「なくてならぬものは何か」を考えざるを得ないのだ。確かに「ことば」では空腹は満たされない。しかし、たとえ食べ物があったとしても「食べて生きよう」と思えるかは別問題なのだ。そんな日、「食べてもう一度生きよう」と決意させるもの、それが「ことば」だった。草木は水と太陽が育ててくれる。一方、人を生かすものは「ことば」なのだ。
「はじめにことばがあった」(ヨハネ福音書1章)と聖書は語る。それは「どんなことがあっても私はお前を愛している」という神様のことばが私達の前に存在することを示す。そして、そのことばが肉となり、私達の内に宿り、救い主イエス・キリストとなった。あの日の蛤浜で、私はそんな聖書のことばを思い浮かべていた・・・・・・
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