(毎日フォーラムの取材を受けました。連載します。)
――ますます「希望のまち」が必要になってきたといえますね。現在の進捗(しんちょく)状況は。
北九州市内にすでに用地は取得してあります。暴力団の本部事務所があった場所で、跡地利用が難航していましたが、みなさんに支援を呼びかけ、この春に借入金は完済しました。予定では、来年秋の着工、二四年秋の「まちびらき」。いまは、建設の資金集めとして寄付キャンペーンを行っており、企業にも積極的に呼びかけています。目標は3億円です。企業がこのプロジェクトに寄付するメリットの一つとして、私は「従業員のモチベーションマネジメントに好影響を与える」と説明しています。「自分の働いている会社が、こういう取り組みを応援していると分かれば、従業員の意欲が上がる」とね。地域とつながることで、社会に起きている問題、課題を知るなど、その会社にとっても、いい効果をもたらすはずです。
――自治体に求めることは。
プロジェクトについては、地元の北九州市が賛同してくれていますが、基本的には、市民の力で、道を切り開いていく。その中には当然、行政の人もいる。
人は自分がしてもらったことを誰かにする。私自身もそうです。親や家族、仲間から、してもらったことが、ホームレスの支援につながった。「希望のまち」は北九州が第1号。これがうまくいったら2号、3号と各地に広げ、少しずつ「家族機能の社会化」を実現させていきたい。
(追伸)「希望のまち」のキャッチフレーズは、「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」です。「どうなるのか」と尋ねられますが、それはわかりません。しかし、独りぼっちでは「なんともならない」と思います。わたしがいる。あなたがいる。さらに、いろいろな人が周りにいてくれる時、私たちは「なんとかなるような気持ちになる」のだと思います。
だから「なんとかする」とも言わないわけです。「なんとかする」。そう言っているのではありません。そもそもそれは「誰が、誰に言う言葉」なのでしょうか。一見そんな風に言ってくれる人がいてくれたら安心できると思いますが、落ち着いて考え見るとずいぶん「上から目線な言葉」だと気付きます。そうではなく、わたしとあなたが向き合う中でお互いに「なんとかなる」と言い合うことから始めたい。それが「希望のまち」だと思うわけです。
だから「なんとかなる」は誰かが誰かに「約束する言葉」ではなく、お互いが「言い合う言葉」なのでしょう。「なんとかなる」は、この意味で「希望のことば」だと言えます。不安な時代です。お互い顔と顔を合わせて「なんとかなる」と励まし合いたいと思うのです。
是非、「希望のまち」にご協力ください。寄付は残り1億9,000万円です。
おわり
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