(先日東京渋谷で起きたホームレス女性の殺害事件についてWEB論座用として準備している原稿です。今回は、その①)
1、彼女のことを考えている
彼女のことを考えている。当然会ったことは無い。
居場所は無くバス停で休んでいた。そしていきなり殴り殺された。付近の住民は「小柄でおかっぱ頭」だったという。六四歳。どんな人だったのだろう。どこで生まれ、どんな人生を歩んできたのか。なぜ、あの場所にいたのだろう。何もわからない。だが、私たちは想像することができる。できる限りの「想像力」をもって彼女のことを考える。それが残された者の「宿題」あるいは「義務」だと思う。
16日午前5時、東京都渋谷区のバス停のベンチに座っていたOさんが襲われた。路上生活者だったという。64歳。救急搬送されたが死亡が確認された。防犯カメラの映像によると犯人はベンチに座っていたOさんの頭を袋のようなもので殴り逃走。言葉を交わした様子もなくいきなり殴りかかったとみられる。
21日警視庁は、現場近くの交番に母親に付き添われて出頭した46歳の男を逮捕した。「痛い思いをさせればあの場所からいなくなると思い殴ったが、まさか死んでしまうとは思わなかった」と供述しているという。凶器となった袋の中身は「ペットボトルなどが入っていた」とも話している。付き添いの母親は「あんな大事(おおごと)になるとは思わなかった」と本人が言っていたと語っている。
Oさんは意識が薄れていく中で何を考えただろうか。そこにあったのは、無念、苦しみ、痛み、怒り、悲しみ・・・。あるいは「これで楽になれる」と思っただろうか。
そう思わざるを得ないほど路上生活は苦しい。僕には経験はないが、30数年、間近に見てきた路上生活が過酷を極めていることは僕にでもわかる。「3日やればやめられない」などと茶化す人もいるが、それは現実を知らないのみならず、人として「想像力」が欠如している証拠でもある。あるホームレスの親父さんは「毎晩祈ってから寝る」と言った。牧師である私は「もしかしてクリスチャンですか」と尋ねると「もう神も仏もありません」と彼は静かに答えた。では、何を祈っていたのか。「もう二度と目が覚めませんように」と彼は毎晩祈るという。その言葉の重さにたじろいた。鈍感な私でさえ、この言葉に野宿生活とはどういうことなのかを考えざるを得なった。
つづく
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