猜疑心が無かったわけではない。いつ何があってもおかしくない。それが松ちゃんだ。いや、松ちゃんだった。
僕は訪問する度に一本、一本お酒のフタが開いていないか確かめる。松ちゃんは、そんな僕を笑いながら見守った。全部を調べ終わり「合格!」と宣言する。松ちゃんはなんとも言えないご満悦の表情で鼻を膨らませた。そして「当たり前や、あはは」と胸を張った。
何が「当たり前」なのだろう。依存症の人なのだから治療中は飲まないのは当たり前ということか。それもある。そうでないと困る。数か月前の病院からの強制退院が思い出される。しかし、松ちゃんの「当たり前や」はそんなことではない。「あんたとわしの約束やからもう裏切らない、いや裏切れないのは当たり前や」と僕には聞こえた。当初、薄氷を踏むように始まった断酒の日々だったが氷は確実に厚みを増し半年が過ぎた。本当に「当たり前」が「当たり前」になった。
その頃の僕は、急激に忙しくなっていた。例のプロフェッショナルの影響もあったと思うが、それ以上にリーマンショックを機に「生活困窮者への新しい支援の形」に関する議論が始まったのだ。「パーソナルサポートサービス」。これまでのように「制度」に当てはめて人を捉え支援を実行するのではなく、一人ひとりに「パーソナル」な支援計画を立てるという考え方に基づいた支援の形だ。「ワンストップサービス」。行政や制度の縦割りは、相談者を「たらい回し」にしたし、複合的な課題を有する人を受け止められない。そこで考えられたのが一か所(ワンストップ)ですべての相談者を受け止めることが出来る仕組みだ。
聞き慣れないカタカナが飛び交う厚労省の会議にしばしば呼ばれる。ついていくのが精一杯。また同時期、関東などでホームレス状態の人々を食い物にする民間施設が大きな問題となっていた。いわゆる「貧困ビジネス問題」である。当時、抱樸の活動を具体的に知っている人は少なく、この議論においては僕が「業者扱い」される場面がしばしばあった。悔しい思いで会議場を後にすることも何度もあった。
一番しんどかったのは「東京」という慣れない土地そのものだった。とにかく人が多い。ものすごい人が駅から出てくる。「今日は何かの祭りか」と最初は思ったが、それが毎日続く。また、当時はネットでのホテル予約などという知恵も回らず、最初に新橋駅前で泊まったホテルに泊まり続けていた。悪いホテルではない。安くて普通。でも、夜になると入り口に外国人の女性が何人も立ち「お兄さん、お兄さん」と声がかかる。それを振り切って中に入る。「恐るべし!東京のホテル」と思っていたが、後々「そういうホテルではないホテル」はいくらでもあることに気づく。東京の僕は孤独だった。目の前にものすごい数の人が通り過ぎていく。しかし、僕は誰ともつながっていない。これが孤独というものだと知った。
つづく
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