(10月20日に金子千嘉世先生が召された。葬儀には行けなかった。それで勝手に追悼文を書いた。)
金子千嘉世先生、本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。ここ数年病気と闘っておられ、先月お見舞いした時に「もう時間がない」とご自身仰っていたわけで。いつかこの日が来ると覚悟はしていましたが、実際に来てしまうと「信じられない」というのが正直な気持ちです。あの日、緩和ケア病棟で千嘉世さんは、「家に帰りたい。帰 れるかもしれん」と仰っていましたね。千嘉世さんが言うと、なんとなくそうなりそうな気持になるもので、これは不思議なのですが、「奥田先生、がんばってるね」と千嘉世さんが言ってくれると、なんとなく「その気」になる。あの夜、貢司先生と呑んだのですが「千嘉世は家に帰れるかも知れない」と貢司先生も仰るもんだから、家に帰る日が来ると思っていました。貢司先生と酒瓶抱えた写真と「一緒に飲もう」というメッセージを千嘉世さんにおくると、すぐに返事をされましたね。「嬉しいな。その日は奇跡の日」。結局、奇跡は起こりませんでした。本当に残念です。
千嘉世先生と一緒にやった仕事の中で最も印象に残っているのが「平和宣言」です。2000年頃、国会で憲法調査会の動きが活発になり「憲法改悪」へと向かう恐れもあって、何人かの牧師と「ではどうするか」と話し合っていました。改悪は阻止しなければならなりません。ただ、たとえ憲法が改悪されようとも聖書に基づいて平和をつくることが出来なければなりません。そのためにキリスト者が拠って立つ「信仰宣言」を創ろうと考えたのでした。千嘉世先生もすぐに参加されました。あれから20年足らずで本当に平和憲法を無化する総理大臣が現れるとは考えもしませんでしたが、今となれば「平和宣言」は大変貴重なものとなってしまいました。
「平和に関する信仰的宣言」として連盟総会にて採択された文章は、十戒を土台に書かれました。それは「律法の回復」を目指すものでした。とかく「律法主義」を否定してきたキリスト教会ですから、当初、少なくない教会や牧師たちから「反対」されましたね。千嘉世先生は、そんな批判にビクともせず「平和宣言」を推進されました。心強い味方を得たと思いました。「律法主義」がダメなのは当然ですが、教会はいつの間にか「律法を死文化」させ、「服従無き信仰」に甘んじていたのです。それは、ボンヘッファーが指摘した「十字架抜きの安価な恵みに埋没していた」ことを意味します。千嘉世先生は、「服従」や「恵みに対する応答」という事に忠実だったと思います。
つづく
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