「逝去」の知らせに互助会の仲間たちが集まり弔いが始まる。牧師役である私の手元にはその人との関わりの全記録が届けられる。かつて野宿だった場合、野宿時代の巡回相談記録、自立支援施設での生活支援記録、自立後の地域生活サポートの記録など、出会いから最期の日に至るまでの全記録が届けられる。私自身の関わりも加えながら「葬儀説教」を書く。
葬儀では友を偲ぶ言葉が述べられる。大体が悪口。「こいつ、金を返さないまま死んだ」「酒癖が悪かった」「すぐに喧嘩した」などなど。会場は笑いに包まれる。しかし「こいつがいないとさびしい」と最後の一言が語られると皆が涙する。それは「家族」だった。いや、それ以上の「つながり」を感じた。私たちは「出会いから看取りまで」を掲げて活動をしてきた。不完全ながらも今もそれを目指している。出会った人同士が「大きな家族」になっていく。そのことを大切にしてきた。
先日、あるスタッフがこんなことを言っていた。「支援記録というのは完結で客観的でなければならないと言われますが、私は互助会葬で何が語られるかを思いながら記録を付けています。だから、エピソードや支援員の思いなども書くようにしています」。繰り返す。私たちは葬儀を大事にしてきた。そのために日常的な関わりを重ねそれを記録した。葬儀とは「つながり」中で、行きかう感情の中でのみ成立する事柄だと思っている。
だから故人を悼むということは、極めて「個人の内面に関わる事柄」なのである。人の死との向き合いに方には「差異」がある。一律にとはいかない。フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチは「死の人称」ということを言った。「一人称の死」は「私の死」である。自分自身のことであって、誰に代わってもらうことが出来ない死だ。「二人称の死」は「あなたの死」である。親や配偶者、子ども、親友、知人、恩人など、自分にとって大切な人の死である。関係が深い分、自分の一部がもぎ取られたような痛みと悲しみを伴うゆえに「一人称の死」と繋がっている。時に愛する人(あなた)を亡くしたその痛みが自分のいのちに関わる事態となってしまう。それは「つながり」が深い証拠だ。そして「三人称の死」。「彼、もしくは彼らの死」である。つまり「他人の死」。日々報じられる事件や事故で亡くなった人の存在を知る。「かわいそう」と思うが、よほど造像力を働かせない限り、私達はそれを受け流す。「冷たい」という事ではない。すべての死が「一人称」や「二人称」の重みをもって迫ってくるならば、私達は耐えられなくなるからだ。だから「死の人称」に従ってその受け止め方を変える。これは正直な人としての現実である。 つづく
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