松ちゃんは、なんとかしようと頑張っていたのだ。アルコール依存症は病気である。他の病気同様、本人の心意気だけで治るものではないことは、私自身これまでの経験でよくよく承知している。だが、一方でこれもまた他の病気同様に本人に治療の意思がないとなかなか治療が進まない。「本人の意思」はこれまでになく明確だった。
チーム松井のメンバーも協議を重ねたが、やはり本人の意思をど真ん中において事を進めるという、いわば当たり前の結論に至った。失敗するかも知れない。いや、これまでの松ちゃんの現状からすると失敗することは確定的であった。しかし、人には失敗する権利がある。そして失敗の中で人は一層深く出会う。お互いの弱さや限界を知り合う中でどうあるべきかを模索する。何よりもそれでもつながろうとする相互の信頼が生まれる。伴走型支援においては、たとえ失敗しても「つながり続ける関係の構築」を重んじる。
情熱的なボランティアや専門家など「優秀な支援者」であればあるほど「失敗させない」、つまり「予防的なケア」が上手になる。先読みができるのは、これまでの経験に基づく優れた能力であり、決して「いけないこと」ではない。だが、これがあまり「上手になりすぎる」と当事者の人生という道にガードレールを敷設し「道から外れない」ように事前に手を打つようになる。結果、「大きな失敗」は免れるかも知れないが、ややもすれば当事者の権利を侵害することになりかねない。どんな権利か。それは「失敗する権利」である。
伴走型支援においては「失敗するか、しないか」よりも「つながり」を重視する。だから「先んじて手を回す」ことにあまり熱心ではない。そもそも「予防的」になればなるほど本人にとっては窮屈な日々となる。重要なのはガードレールではなく、セーフティーネットなのだ。セーフティーネットとは、サーカスの空中ブランコの下に張られたネットのことであり、それは「落ちても死なない」ための網である。「落ちないため」ではなく「死なない程度に落ちる」ことを前提としているのがセーフティーネットだとするならば、伴走型支援は「死なない程度に失敗できる仕組み」だと言える。「失敗しても死なない」ためのセーフティーネットの中身は、「つながり」なのだ。松ちゃんの場合もそうだが、「失敗すること」で「つながり」が深まっていくこともある。となると変な言い方だけど、「失敗するほど安全になる」ということだってあり得る。とはいえ「失敗」を楽しんでいるわけでもないし、期待して待っているわけでもないが、これまでの「問題解決」一辺倒の支援では「問題」や「失敗」を眉をひそめて嘆いてきたが、伴走型支援はもう少しおおらかな眼差しで現実を見ることができる。
つづく
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