社会

1/30巻頭言「朝日WEB論座 クリスマスプレゼントの本当の意味 最終回」

 最後にささやかなクリスマスメッセージを送る。私は牧師である。クリスマスは、救い主イエスの誕生を祝う日だ。そのイエスもまた「社会的相続」を考えていたように私は思う。イエスは弟子にこのように語る。
 「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい」(ヨハネ福音書15章34節)。しかし、この直後イエスはもう一言付け加える。何か大切なことを思い出し、言い足りなかったことばを付け加えたのだ。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」。そうだ。「わたしがあなたがたを愛した」という前提がなければならないのだ。人が互いに愛し合うために、まずイエスが(神が)人を愛する。この先行する事実が無ければならない。愛とは、そのような「相続」されるものだとイエスは気付いたのだ。
 クリスマスは、この世界に向けられた神の愛である。それが先行して起こった。それを信じることが出来るのなら、私たちは「愛された者として、誰かを愛することが出来る」。そして、その大切さに気付いた人は、愛の相続の連鎖のために立ち上がる。これがクリスマスプレゼントの本当の意味なのだ。
 クリスマスの意味も知らず、自分が愛された経験も乏しく、自分の子どもさえ愛する術を知らない親たちにクリスマスメッセージが届くことを祈る。貧困の連鎖を断ち切り、社会的相続の連鎖を起こしたい。そんな取り組みが各地に広がることを期待したい。今がクリスマスであることを知らない子どもたちに、親たちに、クリスマスプレゼントを届けよう。新しい相続を始めよう。あなたの小さな愛の行為が貧困のスパイラルを止める。 すべての人に! メリークリスマス!
【追伸】 少し余白が出来たので書き足すことにする。イエスは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」という。つまり、聖書が言いたいことは「あなたがなんと言おうと、どう思おうと、あなたは既に愛されていますよ」ということなのだ。そして信仰とは、それを「信じる事」なのだ。この神から愛をいただいていない人など、この世にはおらず、どんな悲惨な状況に置かれたとしてもすでに受けたのだ。
しかし「そんなことを言っても現にこれだけ苦しいんだ」と嘆く子どもはいる。そんな「あなたは愛されている」と容易には言えない現実を背負い生きる子どもたちにそれでも語り続けるしかない。「それでもね、聖書にはそう書いてあるんだ。おじさんもその証拠をもっていない。君の苦しみを考えるととてもそんなこと言えない。しかし、聖書にはそう書いてあるんだ」と。勝負は「それを真剣に信じる大人が何人いるか」で決まるような気がする。そして、そう信じる大人は、「すでに愛された人」として誰かを愛することが出来る。そうなのだ。相続人として生きることが出来るのだ。

おわり

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