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社会

1/23巻頭言「朝日WEB論座 クリスマスプレゼントの本当の意味 その➅」

人は誰かから「してもらったこと」を、次の人にすることが出来る。私の場合、子どもの頃のあの経験、つまり「プレゼント」の数々が牧師の仕事や困窮者の支援に形を変えて引き継がれたと思う。そして自分が父親になってからは、「サンタ」にもなれた。抱樸で出会う若者たちには申し訳ないぐらい私は幸せだった。すべては、あの日々のおかげだ。
クリスマスプレゼントには、そういう「社会的相続」という意味がある。だから私は、彼らにキチンとプレゼントを引き継がねばならないのだ。
そうであるのなら、空っぽのコップを握りしめ自分の子どもと向き合っている親たちを「虐待する鬼親」と罵(ののし)ることは出来ない。必要なのは誰がコップに水を入れるのかということだ。
ドラえもんにでも頼んで子どもの頃に戻り、実の親からそれをもらうしかないのか。そもそも、それが出来る親ならばこうなっていない。ならば、コップの水は誰が注ぐのか。
誰でも良い。新しく社会的に相続を起こせば良いのだ。血縁などという不確かな概念に頼ることは止める。「身内の責任」の追及は、所詮、周囲が無責任であり続ける口実に過ぎない。
みんなで相続を社会的に創造するのだ。NPO抱樸の「子ども家族MARUGOTOプロジェクト」は「社会的相続」を起こすプロジェクトでもある。
「なんでお弁当を作ってあげないの」と人は言う。でも、一度もお弁当を作ってもらったことがない人には、それは大変なことなのだ。だから、一緒に経験するしかない。
運動会の朝、抱樸のスタッフは自宅を訪問し、親と一緒にお弁当を作る。学校の行事に親と一緒に参加する。親たちが子どもの頃に経験しそびれたことを、一つひとつ経験してもらう。社会的相続は、血縁や身内を超えた社会運動であり、赤の他人が家族機能を担うことによって起こる。
「あるはずのもの」を親たちが少しずつ経験し、それを子どもたちが受け継ぐ。人は誰でも相続の主体になれる。私はそう信じている。

次回、最終回

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