(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
私は「潰瘍(かいよう)性大腸炎」という難病をもっている。もう二五年以上付き合っているが、現在は「寛解(治まっている)」状態。以来、すぐにおなかを下す。それでも焼肉は食べる。呆れる。
当初は二週間に一度病院に通った。毎度、二時間ほど待たされる。やっと診察。「どうですか」と医師。「変わりありません」と僕。二時間まって二分の診察。出血が続くとヘトヘトになる。加えて待たされイライラが募る。その日は相当不機嫌に見えたのか「じゃあ、血液検査しておきましょう」と先生。
だが検査室も人で溢れていた。「次、山田さ~ん」。返事無し。『ヤマダ~どこ行った』。順番を待つ人々の心の声が聞える。そこに「はい、はい」と山田さん笑顔で登場。売店に行っていたのか何やらぶらさげている。『なにやってんねん・・・』。廊下は不穏な空気に。
「次、奥田さん」。一時間程待った。イライラはピーク。採血の針が僕を刺す。憮然と手を出す僕に看護師さんは「待たせてごめんなさいね。痛かったね。ごめんなさいね」と声をかけてくれた。ハッとした。「こちらこそごめんなさい。あなたは何も悪くない」。そもそも僕の病気だし患者が多いのも仕方ない。主治医の『どうですか』に悪意はない。毎度内視鏡検査をするわけにもいかない。十分承知の上。
しかし、あの日の僕は誰かに謝ってもらいたかったのだ。「ごめんなさい」と言って欲しかった。思いがけず難病になった。ちょうど娘が生まれた年だった。「治らない」と医師に告げられ落ち込んだ。治療当初、薬疹に悩まされた。やり場のない思いが日々沈殿していった。
時に人生は僕に重荷を負わせる。誰のせいでもない。だが弱い僕は、それを誰かに引き受けて欲しいと思う。お門違いを百も承知で。「ごめんなさい」と謝って欲しい。その一言に救われる。関係無い人のしんどさを引き受け「ごめんね」と言ってくれる。「なんとかなる」。そんな気がする。
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