【今週のことば】
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971年)の祈りをここで紹介する。「神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください。これまでの私の考え方を捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。アーメン」。
この祈りが多くの人々に感動を与えるのは、「変えることのできない」という弱い自分の現実を受け止め、「変える力を与えてください」ではなく「受け入れる力を与えてください」と祈るところにある。「困難」を消し去るべき対象とせず「平穏への道」と捉え、神の計画に身を委ねる。弱さの承認から始まる祈りに与えられる恵みがここにある。
旧約聖書学者の浅野順一さんが「ヨブ記」(岩波新書)において次のようなことを書いている。「しかし、人間一人一人の生活や心の中には大なり、小なり穴の如きものが開いており、その穴から冷たい隙間風が吹き込んで来る。(中略)例えば病弱であるということも一つの穴であろう。その穴を埋め、隙間風のはいらぬようにすることも大事であり、宗教がそれに無関係だとはいい得ない。しかし同時にその穴から何が見えるか、ということがもっと重要なことではないであろうか。穴のあいていない時には見えないものがその穴を通して見える。健康であった時には知りえなかったことを病弱となることによって知り得る。しかるに我々はその穴を早く埋めることに心を奪われ、穴がなければ見えぬものを穴を通して見るという心構えを疎かにして、それを問題にさえしないということになり勝ちであるがそれで良いか。」
人間とは、穴を持つ存在である。その現実を引き受け、逆に穴から世界を見直す。それが苦難の意味となる。コロナは、私たちの人生に空いた大きな穴だ。そこから隙間風が吹き込んでいる。その激しさ、その冷たさに私たちはたじろいでいる。浅野さんが言うように、穴をふさごうと思うことは当然のことだ。コロナに対して何もしないと言うことにはならない。しかし、その穴から何が見えるのか、そのことに心を向けることもまた必要なのだ。私たちは、大きな穴を前に何ができるのか。何を見、何を祈るのか。
つづく
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