社会

1/16巻頭言「朝日WEB論座 クリスマスプレゼントの本当の意味 その⑤」

(前回から少々重複)
時折、「ホームレス支援をなぜ始めたのか」「なぜ、30年もやり続けられるのか」などの質問を受けることがある。私はなぜホームレスの支援をすることが出来たのだろうか。答えは単純だ。「かつて、もらったから」だと思う。
私の父は経済成長期のサラリーマンだった。日々忙しくしていたが、クリスマスイブは必ず早く帰宅し家族と過ごした。丹前(冬用のきもの)を着た父が(ちなみにわが家ではパパと一時期呼称していた)、鯨のベーコンで一杯やっている。クリスマスイブには、すき焼きとクリスマスケーキが準備された。鍋奉行の父が仕切る。
私たち子どもは、すき焼きが出来上がるのを、今か今かと待っている。すると父が、「知志、玄関でガタガタって音がしたぞ。見ておいで」と言い出す。そう、決まってそう言うのだ。行ってみると何もない。「何もなかったよ」と告げ、食事が再開する。
しばらくすると、「知志、玄関で音がした。見ておいで」と再び父が言う。ドアを開けるとそこにはサンタさんからのプレゼントが兄の分と共に置いてあった。僕は飛び跳ねるように「サンタが来た!」と父に報告する。父は微笑みながら一杯やっている。物心ついた頃から、この「年中行事」は繰り返し私の心に刻まれていった。
小学校4年生のクリスマスイブ。夕暮れ時、近所の友達と遊んでいると、父が遠くに見えた。「ああ、パパだ」と一瞬走り出したが足が止まった。父は大きな荷物を抱えていたのだ。
私の中で、「これには触れていけない」というブレーキがかかる。我が家の隣りは平尾さん家で、ブロック塀があった。ブロック塀にはところどころ模様のような部分があり、その模様の隙間から向こう側が見えた。私は塀の後ろに息を潜めて隠れ、「見てはいけないもの」を凝視していた。父はそのまま玄関に入っていった。
数時間後、いつも通り「知志、見ておいで」。1回目が始まった。なにも無い。そして2回目、玄関を開けると先ほど父が抱えていた「あの荷物」がそこにあった。「サンタは父だったのか」。数時間前に沸々と湧き出した疑念は晴れたが、なんとも言えない思いになったのを覚えている。
私は忖度する子どもだった。だから、「なんやパパだったんか」とは言えなかった。精一杯いつも通り飛び跳ねて「サンタさんが来てくれた!」と喜んで見せた。そして私は少し大人になった。
これには後日談がある。翌年以降、クリスマスプレゼントは父からの手渡しになったのだ。さすがに父たちは「バレた」ことに気付いていたようだ。「サンタはどうなったの」と僕は尋ねることなく、当然のように「ありがとう」と受け入れた。        
つづく

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。