生きる

1/1巻頭言「わたしがいる あなたがいる なんとかなる」 西日本新聞エッセイ その②

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
NPO法人抱樸では「希望のまちプロジェクト」を進めている。特定危険指定暴力団工藤会の本部事務所跡を引き受けた。「怖いまち」と言われた北九州を「希望のまち」に変えるのだ。キャッチフレーズは「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」。
 「なんとかなる」と声に出して言ってみようと前回書いた。さらに「なんとかなる」と思えるために「誰かと一緒にいること」が大事だと思っている。その「誰か」が「なんとかしてくれる」ということではない。そういう友人がいればいいのだが滅多にいない。自分自身もそんな存在ではない。「なんともならなくとも」誰かが一緒にいてくれたなら「なんとかなる」と思える。それが人間だ。
子どもの頃、教会主催のキャンプにしばしば参加した。当時は今のような「グランピング」のようなものはなく、何もない山の中で数日を過ごした。当然、トイレなど無い。山に入ると最初に穴を掘る。穴の上に板を渡して足場にする。周囲をシーツで囲みトイレが完成する。
夜中、無性に用が足したくなる。しかし、真っ暗な森の中にあるトイレにひとりでは行けない。それで隣りで寝ている友だちを起こす。「なあ、ついて来てや」。懐中電灯を頼りに友だちと二人、トイレにたどり着く。僕はトイレの中から「いるか」と尋ねる。友達は「いるで」と答える。「いるか」「いるで」。そんなやりとりが数回あって無事終了。
 友だちが暗闇の怖さや森の不気味さ消し去ってくれるわけではない。森は真っ暗なまま。ただ「一緒にいてくれた」だけ。しかし、それで、ただそれだけで、私は「なんとかなる」と思えた。ひとりぼっちでは「なんとかなる」と言えない時には誰かに一緒にいてもらおう。「いるか」「いるで」。そのやり取りのなかで人は「なんとかなる」と思える。それが人間だと思う。
抱樸では「希望のまち」のために三億円を目標に寄付を募っている。北九州市はこのための「ふるさと納税」を受け付けている。僕は「なんとかなる」と今日もつぶやく。

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