先日「べてるの家」の向谷地先生ご夫妻と伊藤さんが礼拝に来てくださった。四年ぶり。「べてるの家」は一九八四年に精神障がい等をかかえた当事者の地域活動拠点としてスタートした。「自分が自分の専門家」という「当事者研究」で有名である。向谷地さんは次のように語られた。
「日高地方は北海道で一番貧しい地域。人口は一万二千人ほど。住民の三割は先住民であり、一方で強制連行された朝鮮人の子孫が大勢暮らす。そのような歴史の交差点に置かれた人々の多くが心を病んでいた。心が病むということは『その人の苦悩が最大化した状態』と言える。当時、そのような人々は精神科病棟に閉じ込められていた。自分は病院のソーシャルワーカーだった。入院患者の多くが聖書を持っていることに気づき教会で何かできないかを考えた。町の人々にとって入院患者は『困った人たち』だった。そんな『困った人』が教会に出入りするようになる。お酒を飲んで教会に来る人、鉄パイプをもって現れる人。浦河にはアパートが少ない。旧会堂でそのような青年たちと同居を始めた。『教会は何をやっているのだ』と地域は声を上げはじめた。そして教会の中に『ざわめき』が起こった。浦河教会はその営みの中で『悩む教会になろう』と決断した。『平穏無事な教会ではなく、地域の悩みがちゃんと教会の悩みとなる』。その人の悩みをわがことのように悩む。自分たちの行き詰まりやとまどいこそが大切なのではないかと考えた。四年前に東八幡教会を初めて訪れた時、抱樸館建築反対の声が上がり、反対の幟旗が何本も立っていた。そして今日もまだ立っている。この様子は、東八幡キリスト教会が、地域の苦労を教会の苦労にしている姿だと思い胸が熱くなった。そして連帯の思いをもっている」。
向谷地さんの静かな語りは、多くの人の心に届いたと思う。あの日私たちは、遠く離れた浦河の教会との連帯を確かめた。私たちは「悩む教会」というテーマを改めて与えられた。東八幡教会も様々に悩んできた。ある時には、「ざわめき」どころか「嵐」が吹き荒れた。しかし、常にその只中で光を見出してきた。「光は闇の中に輝く」(ヨハネ福音書一章)。
一方で地域には常に排除の力が働いている。「地域の悩み」になっている内はまだましで、地域は「悩み自体」を排除し、あるいは隠ぺいしようとする。東八幡教会や抱樸は、「地域の悩みを自らの悩み」とする一方で「地域を悩ます」役割を果たしている。地域にとっては「迷惑な存在」だ。だが、現代社会においてこの「迷惑」が必要なのだ。迷惑を排除することで自己保全を図る地域に対して敢えて問題を持ち込む。ヘイトスピーチに見られるような差別と排除が公然と行われる現在の社会の力学は、自らを「悩み」から遠ざけようとする。だから地域には「悩ます存在」が必要となる。浦河教会もべてるの家もさぞ地域を悩まし続けているのだろう。
「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう」(マタイ福音書十章)。イエスのことばである。イエス様も相当に「迷惑なお方」だった。だが「悩ます存在」が必要だとイエスは言う。「悩み、悩ます教会」。いいと思う。
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