エッセイ

中村荘火災から見えたこと―「住まい」と「暮らし」の一体的支援

五月七日午後十一時過ぎ小倉北区中村荘六は全焼した。入居者十六名のうち六名が死亡。その内、二名は現時点でも身元不明のままである。中村荘は一日五百円で泊まれるアパートとして「一定の人々のニーズ」に応えてきた。つまり、高齢、単身、低所得、保証人不在、身内との関係断絶など、住居確保が困難な人々には、保証人も頭金も不要の超低額の中村荘はある意味「ありがたい」存在であった。

亡くなった六人の中のひとりKさんは二〇〇七年以来、抱樸が関わっていた。昨年、九年間の野宿生活を終え抱樸のシェルターに入られた。なぜ彼は十年近く野宿でいたのか。

定年間際、友人に騙され一億円を超える連帯保証を背負わされた。早期退職し退職金すべてを返済に充てたが足りず、友人から借金し完済した。年金は一定あったが、年金受給後も自分のことには使わず、ほぼ全額を友人への借金返済に充当、自身は野宿を続けた。だから彼は抱樸の居住支援を拒まれていた。七五歳を過ぎ体力の限界を痛感。ようやく抱樸のシェルターに入居。その際友人に「生活を立て直す間返済のペースを落としたい」旨伝えたところ「十分に返してもらった。残りはもういい」と残額を免除された。高齢者施設入居を希望したKさん。施設探しは抱樸が担当。希望の施設が見つかり入居手続きに入ったところ、施設側から「保証人」を求められた。身内とは絶縁状態であり、抱樸の「保証人バンク」での対応を申し出たが「身内以外認めない」と施設から断られ断念。これがきっかけで酒におぼれ、シェルターを自主退所。そして中村荘へ身を寄せた。この間も抱樸との面談において、「五月中の転居」を決断。転居支援は抱樸で行うこととした。Kさんが火災にあったのはその六日後だった。家族は引き取りを拒否。二五日に東八幡教会にて抱樸主催の葬儀が行われ、遺骨は教会が引き受けた。がんばってきたKさんのことを思うと悔しい。正直神様に文句を言いたい。

住まい(住居)の確保は先決事項だ。金があろうが、無かろうが、住まいが確保されることは憲法の言う生存権にあたる。国はこれを保障しなければならない。一日五〇〇円払うのがやっとの状態で生きている人が、安心して暮らせる住まい(住居)の確保が急務である。空き家は、全国で八百万戸と言われる。なぜ上手く活用できないのか。

ただ人が生きるには、住まい(住居)の確保だけでは十分ではない。そこに「人としての暮らし」が成立するかが問われる。そして暮らしを暮らしとするのは「人との関係」に他ならない。未だに二名身元不明という事実は何を示しているか。彼らにはともかく「住まい(住居)」はあったのだ。二人には伴う人、弔う人はいなかった。

イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言によって生きる」(マタイ福音書)と言われた。「パン」は、住まいを含む健康で文化的な最低限度の必要である。しかし、それだけではだめ。「ことば」とは「関係」を指す。それがいないと「人が人として生きる」ことにはならない。抱樸では、これを「ハウスとホーム」と言い分けた。「住まいと暮らしの一体的支援」のしくみづくりを急がなければならない。Kさん。見ていてください。

 

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