社会

なぜ抱樸が必要か―人がまるごと大切にされるために

1、抱樸(ほうぼく)の意味

 「抱樸(ほうぼく)」が目指す支援は「個別型包括的支援」と言える。「抱樸」は老子の言葉。「樸」は、原木や荒木を意味する。抱樸とは、原木をそのまま抱きとめるという出会い方であり、人と人との関係を示す。原木が製材所で整えられたら受け入れるというのではない。長くこの国は困窮状態にある人々に「自ら申請すること」を求めてきた。それがないとダメだ。「申請主義」である。しかし、苦しい状態にある人々は孤立していた。「なぜ、もっと早く相談しなかったの」と言いたいが、相談できない、あるいは相談する相手がいないのが困窮者である。
 原木はあらゆる可能性を秘めている。「何がしたいの」「何ができるの」。性急に答えを求める時代にあって、本人さえも自分の可能性を待てない。抱樸はその答えがいずれ出ること信じて待つこと。いや、たとえ明確に答えが出なくても、のんびりと関係を保ち続けるという生き方である。
 さらに抱樸するということは、お互いが原木・荒木である故に、少々扱いにくく、とげとげしいことを前提する。時には傷つけあい痛む。しかし、人が人と出会い、共に生きるとは、そのような覚悟を必要としている。「絆は傷を含む」。この間社会は、「自己責任」、「身内の責任」と言い社会そのものは存在意義を自ら捨て、無縁化した。元来社会とは赤の他人同士が誰かのために健全に傷つく仕組みであり、傷の再分配構造だと考える。抱樸とは、出会いにおける傷を必然とし、驚かず、いや、それを相互豊穣のモメントとすることである。

2、その人をその人として

 ホームレス支援と言われる。しかし、世の中にホームレスと言う人はいない。「ホームレス」は状態を指す言葉に過ぎない。個人やその人格を表すものではない。ゆえにホームレス支援と言っても、実際には、「奥田知志さんの支援」ということになる。私たちは「名前のある個人に対する支援」を行ってきた。
 一方で現実の社会は制度ごとの縦割り状態となっている。「障がい者の○○さん」「療育B2の○○さん」あるいは「要介護3の○○さん」、「後期高齢者の○○さん」、「シングルマザーの○○さん」という言い方に私たちは慣れてしまった。しかし、それは、その人の「一部分」を指しているに過ぎないが、その違和感を持たない社会とになった。
それぞれの分野で専門的な取り組みや制度が整えられてきた。注意しなければならないのは、制度はその人を助けるための「道具」に過ぎないということ。それぞれの「道具」は、その人の「一部分を担う」に過ぎない。
 こんなことがある。「住宅確保要配慮者」は国交省のことば。国土交通省は、昨今住宅セーフティーネット法の改定を行った。「生活困窮者」、「ホームレス」、「障がい者」、「要介護者」は厚生労働省。「刑余者」は法務省。「低学歴者」は文科省。呼び名は制度に由来している。これらの呼称すべてに該当する「一人の人」がいる。「Fさん」である。私はFさんと付き合い、あるいはFさんを支援する。当然だが「住宅確保要配慮者」をしているのではない。

 制度の縦割りは、人間を縦割りにし社会を分断してきた。随分と無駄も多くなり、制度と制度の谷間に落ちる者が現れた。トータルなケアが受けられず偏った支援に甘んじざるを得ない者。さらに、困窮者側が制度に自分を合わせざるを得ないようなことさえ起っている。
 また、このような縦割りは、国や行政の制度の問題に限らず、民間資源やNPOなども同様の事態となっている。NPO自らが「ホームレス支援団体」や「障がい者団体」と自称する。「専門分野」を持つことは悪いことではないが、その自己限定が人をトータルに支えることの支障になっていないか。目の前の当事者の一部だけを取り出すことに終わっていないか。
 「抱樸する」とは「その人をそのままで受け止める」ということ。「人を属性で見ない」ことを意味する。個人に合わせた支援計画を立て、トータルにサポートする。支援者は、「そのままのその人に伴走すること」を第一の使命(ミッション)とする。
 当然、使える制度はフル活用する。支援者には、各制度に関する専門知識が求められる。ただ、繰り返すが、制度は手段であって目的ではない。制度に個人を合わせるのではなく、その個人の課題を包括的に捉え、総合的なプランを作成し、制度を利用するのだ。
 抱樸の目的は、「その人が個人として、その人の人生をその人らしく送ることであり、その人がその人としての幸福を追求する手助けをすること」である。

3、「包括型NPO」あるいは「ダイバーシティ型NPO」として

 一人の個人の中には複合的な問題が存在している。その人の家族にも同様の事態が起こっている。さらに、その個人や家族が暮らす地域社会にも課題がある。「個人・家族・地域」を「まるごと」捉え、対応するための仕組みの構築が早急に求められている。
 NPO法人抱樸は、「ひとりの人を大事にする」ことから始まった。最初に「事業計画」があったのではない。「ひとりの人」との出会いの中で課題を見出し、一つ一つに対応する中で様々な仕組みを作ってきた。お腹の減った人には炊き出しを。着る者がない人には着物を。宿のない人には家を。病院に付き添い、保証人が立てられない人のためには保証人制度を。抱樸館を建て、障がい作業所、介護事業所、レストラン、職業訓練事業所、刑務所出所者の支援、生活自体のサポートの仕組みを構築してきた。国や行政、地域資源、企業とも連携しつつ総合的、協働的に対応してきた。すべては、「出会った個人、そのひとりを大切にすること」の積み重ねの中で進んできた。
 例えば「抱樸館事業」は、無料低額宿泊施設として運営されている。社会福祉法の第二種事業という位置づけではあるが「制度としての施設」ではない。故に補助金もなく、経営的には非常に困難な状況にある。なぜ、制度を使わないのか。例えば、高齢者施設として運営した場合、障がい者施設として運営した場合、各々の制度からの補助金や保険収入が入る。経営的には有利だが、「制度」を利用するため資格や認定が前提となる。

 また、制度毎に決められた同じ属性の人、すなわち制度毎の認定や資格を持った人しか入れない施設となる。高齢者施設、障がい者施設など、名称のごとく「単色」のものとなり、多様性は失われる。
 抱樸館は、経営的なリスクを負いつつも「誰でも入れる」ということに重きを置いた。抱樸館は、その人をそのまま引き受ける。入居の条件を極力付けない(極力というのは、専門施設ではないので医療や介護など専門的なケアを必要とする方などは難しいということ)。抱樸館にはこれまで若者、男女性、高齢者、さらに地域で暮らす方々の一時的な避難場所とされてきた。「誰でも利用できる場所」として抱樸館は運営を続けている。すなわち抱樸館は、「ホームレス支援施設」ではない。そして、このような施設の在り方自体が「抱樸とは何か」を体現していると言える。抱樸館では、伴走型の職員による生活支援をベースに、就労支援、介護、居住支援、金銭管理支援、投薬管理支援などなど多岐にわたる多様なケアが実施されている。
 また、4年前から始めた子どもの支援のあり方もまた抱樸らしい。「子ども支援」と言えば、とかく「子ども食堂」や「学習支援」ということになる。それはそれで大切だが、NPO法人抱樸の実施する「子ども支援」は、「子ども家族MARUGOTOプロジェクト」との名称で呼ばれている。すなわち「子どものための世帯まるごとの支援」を実施してきたのだ。一つの家庭の中に多くの課題が存在する。このような家庭が実際に地域には少なくなく存在している。不登校の中学生、引きこもりの青年、鬱を発症し寝たきりの母親、失業中の父親、それぞれの困難を抱えた人々が一つ屋根の下に暮らす。地方行政の枠組みで言うと、不登校の中学生は教育委員会、引きこもりの兄は子ども家庭局、鬱状態の母親は保健福祉局、失業中の父親は労働局となる。一つの家庭の中に役所が「まるごと」入っているような状態だった。このような現実に対し、子どもだけを取り出し「学習支援」を実施しても、あまり意味はない。多様な課題を包括的に引き受け、子どもへの支援と共に家族全員に対する包括型で一体的な支援が必要となる。それぞれの課題を担当する専門部署は、縦割りでも、その家族に対してまるごと関わり、総合的な支援プランを進めるための相談役、コーディネート役が必要であった。また、制度ではカバーできない「隙間」を埋める新たな仕組みも必要で、そのような創造的な部分はNPO法人抱樸が独自に創り出した。「子ども家族MARUGOTOプロジェクト」は、そのような現実を「包括的に支援する」ために生まれた。地域資源との連携と共に、NPO法人抱樸の多様性をフルに活用して対応している。
 現在NPO法人 抱樸は一七の部署を有している。正規職員は七〇名。契約職員を入れると一〇〇名の大所帯となった。なぜ、これだけ拡大したのか。それは、すべて「ひとりの人との出会い」から始まった。その出会いの中で確認された「個々多様な必要」への対応を具現化してきた。地域資源や制度、行政協働をしつつも法人内に様々な部署を立ち上げてきた。この包括性や総合力、そして自由さがNPO法人抱樸の最大の強みであると言える。

4、「まるごと」へ向かう社会の中で

 制度の縦割りではうまくいかない人間の現実を見つめ、その個人を「まるごと」引き受け解決しようとする模索が国のレベルでも始まった。「わがこと・まるごと」は厚労省のことばだが、今後国交省、厚労省、文科省、法務省の壁を超える発想となる、ならざるを得ないと思う。「まるごと」は、抱樸にとって「わが意を得たり」と言うところだ。ただ、「わがこと」の強調が「国の責務の曖昧化」につながることがないように気を付けなければならない。ひとりを包括的に支援するための国の責務とは何か、地方行政の責務とは、地域の役割とは、民間団体の役割とは何かが一層問われる時代になる。それらを「まるごと」生かしていく体制をどう作るのか。「全世代型地域包括ケア」や「生活困窮自立支援」などは、まさに対象者を絞ることなく対応するあり方の模索だと言える。
 そのために、包括的で総合的な働きができるマルチタイプのNPOが必要となる。抱樸の歩みは、「ひとりの人をそのまままるごと受け止める」ことから始まった。働きは総合的なものとならざるを得なかった。それは現場の苦闘が育んだ結果だ。抱樸は、現在の「まるごと」が必要とされる時代のニーズに合致した稀有な存在となるだろう。
 抱樸については、現在も「ホームレス支援団体」と紹介されることが少なくない。ホームレス支援のイメージも「炊き出し活動」に留まっていることさえある。そもそも「ホームレス支援」自体が複合的で総合的なものであった。当初から「炊き出し、アパート、就職」という三点セットに留まらず、必要であるすべてのことをやってきた。結果が二九〇〇人が自立。自立率九割以上、生活継続率九割以上を維持してきた。
しかし、現在の抱樸は、それ以上の多種多様な部署が精力的に働いている。予算面においてもホームレスに関連する支出は全体の三割程度。総合力を生かす時が来ている。
 世界は「単独化」が進んでいる。ヨーロッパにおける「移民排斥」や「ファースト」を掲げるリーダーの跋扈。「自分のことだけ」と恥ずかしげもなく胸を張るリーダーにうんざりする。
 抱樸は「人は多様である」ことを証明してきた。この多様性の尊重=ダイバシティが今日の分断される社会においては重要な観点となる。ダイバシティとは、「幅広く性質の異なるものが存在する状態」やその「相違点」を積極的に捉えるというあり方を意味する。抱樸は、「ひとりを大切にする」という一点から、そのひとりの中にある多様性を尊重し、ひとりを大切にするための多様な社会資源との協働を構築してきた。抱樸は、これまで以上にこの多様性を生かす団体となる。それは「包括型NPO」あるいは「ダイバシティ型NPO」とでもいうべきものだ。このような在り方の意義を今後も追求していきたい。
 ややもすれば抱樸さえも「各部署縦割り状態」になりかねない。それを乗り越えるには、どうすべきか。原点に返ることだ。「事業連携」を第一に目指すのではく、丁寧に「ひとりの人との出会い」を大事にし「このひとりの個人の幸福とは何か。その人の幸福追求をいかに応援するか」を真剣に問うことから始まり、そこから事業連携を進める。個々のケースがダイバシティを促進させる。
 NPO法人抱樸は、ひとりとまるごと出会いたい。そのひとりの家族ともまるごと出会う。人が分断されず、そのまま・まるごと生きていける地域共生社会を創造するために、NPO法人抱樸は、その果たすべき使命(ミッション)を今後も担いたい。

以上

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