Oさんと出会ったのは2003年だったと思う。70歳は超えていると思っていたが、実際は51歳だった。糖尿病などいろいろな病を抱えた上に過酷な野宿生活が彼の顔を「老け」させたのか。2007年に自立支援住宅入居。その後地域で暮らし、2013年から抱樸館北九州で暮らされた。アルコールの問題を抱えつつも、多くの人に愛される方だった。刻まれた深いしわは、苦労の証しでもあったが、いや、それ以上に彼が微笑み続けた結果だったように思う。そのOさんが2月18日逝かれた。棺の中で眠るOさんの顔は、ようやく年齢がお顔に追いついたようだった。
2006年5月NHK教育「福祉ネットワーク―終の棲家を求めて」は、2001年にNPOが開所した「自立支援住宅」の日々を追いかけたものだった。我々にとって最初の全国放送されたドキュメンタリーの冒頭、当時野宿だったOさんの姿が残っている。一晩中、自動販売機のつり銭を探し歩き、シケモク(吸い殻)を拾うOさん。一服するOさんは笑顔でこう語っていた。「もう、野垂れ死にや」。取材したのは当時NHK北九州局におられた塚原アナウンサー。後日、「野垂れ死にや」の後に、Oさんがもう一言つぶやかれたことを知った。「犬といっしょや」。野宿とは人間の尊厳をそぎ落とす状態だ。ホームレスの多くが食事を「エサ」と呼ぶ。残飯を漁る自分を動物に例えているのだ。
抱樸は、そんな現実に向き合ってきた。私たちが目指す支援は、単に社会生活を取り戻すことではない。「人間を取り戻すこと」だったと思う。Oさんの最後の訪問記録。「危篤との連絡を受け病院にかけつけた。本人は目を開けておられ、ここ最近、森(NPO担当主任)が会った中では一番よい反応であった。うなずきもしっかりされ、なおかつ笑顔であった。『誰にお見舞いにきてほしい?』と聞くと『あん?』と返され、『今笑ってるの?』と聞くと笑顔でうなずかれた。」亡くなる数日前の事だった。「野垂れ死や、犬といっしょや」とつぶやいたOさんは、平安なほほ笑みを残し逝かれた。「Oさん、あなたは犬ではない。そもそも犬は笑えないやろ」と最後の記録は証ししている。
「その雲の中から声があった、『これはわたしの愛する子である。これに聞け』」(マルコ福音書9章)。イエスは弟子と共に山上で神の声を聴く。だが、この言葉はイエスのみに語られたのではないと思う。すべての人間はこの言葉を聞いているのだ。だが、現代社会は、この言葉を消し去る。いつの間にか、本人も思い出せなくなっている。そして、遂には「犬と一緒や」と言わしめる。抱樸や教会の使命は、「これはわたしの愛する子」と語られた言葉を取り戻すことだ。「自立支援」とは就職させることだろうか。あるいは、居住を確保することか。それだけではない。自立支援の真の目的は、あの神の言葉を取り戻すことなのだ。それは「人間を取り戻す闘い」なのだ。
苦労が多かった人生だった。しかし、Oさんが、微笑みとうなずきで最期を迎えたことを僕は、誇る。Oさん、お疲れさまでした。また、いつか会いましょう。その日、あの笑顔で僕らを迎えてください。さようなら、ありがとう。
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