よくわからない総選挙の投票日となった。「国難突破選挙」らしいが、こんなバカな選挙をやること自体「国難」と言いたい。だが棄権はしない。黙ったら、あきらめたら終わる。
今朝フェースブックを見ていて涙が出た。「やっぱり神様は無駄ものは造られない」と確信した。「ゴミ出しして、ポストを見たら選挙公報在中の茶色封筒・・。いつもなら封を開けないけど、選挙のハガキなんか捨てちゃってたけど、今年は馬鹿な私でも危機を感じたし、子供達の平和な未来の為に25才にして初選挙!22日いこうかな。ところで、選挙の仕方おしえてくださいwww」。なんぼでも教えるぞ!
彼女と出会ったのは、一八年ぐらい前。小学生だった。再会は七年前。そのことを拙著「もうひとりにしない」(いのちのことば社)に書いた。以下抜粋する。「彼女のことは、小さいころから知っていた。なぜなら彼女の親もまた支援の炊き出しに並んでいたからだ。それから数年経って今度は彼女がホームレス支援の相談窓口に現れたのだ。一八歳になっていた。いろいろなことが重なり家を失った。行き場がなくなった彼女は、かつて行ったことがあるホームレスの相談窓口に助けを求めたのだ。妊娠五ヶ月だった。「産みたい」という彼女の決意は固かった。ある日、妻が彼女と話していた。「あなたはこれからどうしたいの?」と問われた彼女は、少し考え込み「私は、しあわせになりたいんです」と答えた。若くして人の何倍も苦労した彼女がそう答えたことに胸が詰まった。しかし妻は、さらにこう尋ねるのだった。「じゃあ、あなたにとってしあわせとは何よ」。「しあわせになりたいで十分ではないか」と思ってしまう私だが、この問いに彼女がなんと答えるのか耳を傾けた。彼女はうつむき、そして一言こう言った。「わからない」。しあわせが何であるか、それはひとりで考えていてもわからない。だから、みんなの中で生きていくのだ。そして他者との出会いの中で、自分とは何者かを考え、そして、しあわせとは何かを知るんだ。一緒に生きよう。私は心の中でそう叫んでいた。その後、彼女は出産した。元気な男の子だった。退院当日「奥田さんの家に行っていい」との申し出があり、慌ててベビーベッドを借りに走った。当初金髪に染めていた彼女だったが、子育てに忙しく髪を染める暇もなくなった。一日一日金髪は黒髪へと変わっていった。それと同じように「やんちゃ娘」は母へと変えられていった。人は出会いによって変わる。生まれた子どもが少女を変えた。」あれからさらに七年。この間もいろいろあった。子育てを巡って喧嘩もした。「理事長!怒るんやったらお母さんを怒って。私は育ててもらったことなんかない。お母さんから教えてもらったのは万引きの仕方だけ」と泣きながら叫んだ少女は、子どもを守る母に成長した。
最近、再婚し二人目が与えられた。独りぼっちで相談に来た金髪の少女は妻となり母となった。夫は家族のために毎日必死に働いている。バカみたいな選挙だが、少女に母として考え決断する機会を与えた。闇の中に数少ない「希望」(この言葉もケチがついたが)を見出した思いがする。「神がなされることはすべて時に叶って美しい」(伝道の書三章)。アアメン
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