社会

9/27巻頭言「自立は、つながりの中で―「學鐙」秋号 最終回」

一方で逆の事態、「社会的孤立が経済的困窮を生む」、つまり「縁の切れ目が金の切れ目」ということである。11年間、野宿を経験したNさんは、自分が野宿になったのは、家族との離別が原因だと言う。「最終的には、仕事を辞めてホームレスになった。でも、その30年ぐらい前。子どもが2歳になった頃、妻が失踪した。息子と二人、仕方なく実家に身を寄せた。自分は長距離トラックの運転手となった。息子が20歳の頃、母が他界。その後息子も家を出た。その日、もうどうでもいいやと思った。自分は二人を養うために頑張ってきたが二人がいなくなって働くことをやめた。今、考えると、私のホームレスのはじまりは、30年前に妻が出て行ったあの日に始まっていたように思う」。「人は誰のため働くのか」。この「誰」を失う時、私達は働けなくなる。私達は「自立は社会参加の前提」と考えてきた。就職できた者は、社会参加できると。違うのではないか。「参加が自立の前提」なのだ。「参加と自立」、この順番にこだわることがホームレス支援の現場では重要だった。人をその気にさせるもの、それが「他者」である。他者との間に「動機」や「意欲」が生まれる。そして、その総体が「物語」である。人は社会から排除され孤立し物語を失い、人と出会い、共に生きることで物語を得る。ホームレスの多くが食料確保のことを「エサ取り」と呼ぶ。「残飯を漁る犬、猫と同じ」だそうだ。しかし、炊き出しで受け取るものは「お弁当」と言い換えてくれる。「食べ物」、つまり「物」として見るならば、残飯も炊き出しの弁当も大差はない。しかし、「物」に人が関わることによって「物語」となる。「エサ」と「弁当」の違いはそこにある。炊き出しの弁当には「これはあなたのために作ったお弁当です。あなたに生きて欲しい」という物語がついてくる。現在の日本社会は、食品ロスが問題になっているほどで、食べるだけなら何とかなる。しかし、彼らは炊き出しに今日も並ぶ。それは「物語に参加するため」だ。この「物語」こそが自立には欠かせない。「他者」や「つながり」が物を物語化させる。

4、おわりに―健全なる依存
というわけで、ホームレス支援の現場において「自立とは他人に頼らず一人で生きていくこと」ではい。それは「健全なる他者への依存」だと言いたい。ここで言う「健全さ」は、「相互性」を意味する。つまり「助け、助けられる関係」である。単に依存先を増やすのではない。相互的に依存し合える関係が必要なのだ。さらに、この「相互性」は「平等」ということでもない。「五つ助けてもらったから五つ返す」というのは、わかりやすいが現実的ではない。世の中には「助けるのが得意な人」がいる。その逆で「助けられることが得意な人」もいる。だから、「相互性」は「平等」でなくてもよい。これを上手く組み合わせる仕組みが社会なのである。自立(Independence)とは、その人がその人として、他者との関係の中に生きることから生まれる。その営みの中で人は、自分だけの物語を紡ぎ出す。そして、この物語の成立をもって、その人は「自律(Autonomy)」へと至るのだと思う。新型コロナ感染が広がり続けている。たとえ感染を免れたとしても今後深刻化する経済危機に私達はどう立ち向かうのか。ホームレスや自殺と言った最悪の事態は避けたい。たとえ生活基盤を失っても「自立を支援する社会」でありたい。ただ、心配なのは、自立に欠かせない他者性の担保が危うい状況が続いていることである。新型コロナの前から日本は孤立が進んでいた。その上「ソーシャルディスタンス」を強いられ、「なるべく人と会わない、話さないこと」が求められる状況において、これまで述べたような「他者との出会いを前提とした自立」を目指すことは一層困難となる。しかし、それでもなお私は申しあげたい。「他者無き自立は、孤立に終わる」ということを。孤立こそがウイルス以上に私達にとっては致命傷となることを。答えは明確である。なんとしても私達はつながるしかないのだ。この時、自立へとつながる他者への道を共に歩みたい。

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