(今回の語り場BARは、「富について考える」。税理士の山内英樹さんから、社会の在り方についてお話しを聞いた。私も富について考えたことを以下に整理する。)
聖書に興味深い場面がある。マルコ福音書6章「給食の奇跡」である。イエスは、自分についてくる大勢の群衆を見て深く哀れんだ。夕方になり、弟子が「もう遅いので皆を解散させましょう」とイエスに提案。しかし、イエスは、「あなたがたの手で食物をやりなさい」と弟子に命じた。弟子たちは「そんなお金もないし、そもそも荒野で店もない」と反論。しかし、イエスはあきらめない。「パンは幾つあるか」とイエスに言われて弟子が調べると「5つのパンと2匹の魚」があることがわかる。到底足らない。男だけでも5千人はいたという。そこで、イエスは、「5つのパンと2ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福し、パンをさき、弟子たちにわたして配らせ、また、2ひきの魚もみんなにお分けになった。」すると、全員が満腹し、残りが12のかごにいっぱいになった。これが5千人の給食の奇跡と言われる物語である。
なぜパンと魚が増えたのかは、わからない。奇跡なんだから不可思議で当然で、「それは神の子イエスだからです」で済ませるしかない場面だ。
しかし、私が興味を抱くのは、「分けたら増えた」という点である。ここにこの奇跡の本質があるように思う。物理的には、物が増えるということはあり得ない。パンが増えたというのはまさに奇跡だ。しかし、奇跡はそれだけではないと思う。私達の日常、現在のこの社会の常識に照らし合わせるとこの奇跡の意味がよくわかる。なぜなら、私達現代人は、「分けたら減る」と思っているからだ。だから、自分のもの減らないように細心の注意払い日々を過している。そんなことばかり考えているので、他者と出会うこと、関わることを忌避するようになる。それは、「分けたら減る」と思い込んでいるからだ。特に課題や問題を抱えている他者とは出会いたくない。そんな人と関わると、自分の時間が減り、下手をするとお金も減る。だから、なるべく見て見ぬふりを装い、それでもだめなら「それはあなたの努力が足りない、自己責任だ」と言い放ち、関わらないように、つまり分けることが無いように努力する。そういう私達の現実からすると、なけなしの5つのパンと2匹の魚を皆に分けるということは、現代人が絶対にしないことであり、それをイエスがしたこと自体が奇跡だと言える。しかし、そんな非常識なことをやるとパンも魚も有り余る程に増えたというのだ。
税の本質は、富の再分配、すなわち分け合うことにある。再分配が公正に実施されることによって、格差が是正され、社会保障が成立し、結果、生存権が守られ、チャンスが巡ってくる。これが、あるべき税の姿だ。しかし、「分けると減る」としか考えられない社会は、税に対して否定的な感覚しか持たない。なるべく分けたくないと思っている。減らさないことで自分を守っているように見えるが、実は、格差が広がり、不公正で活力のない社会が出現することとなる。「分けたら減る」という私達の常識に対抗するように、イエスが「分けたら増える」ということをして見せたこの奇跡物語は、私たちの在り方を鋭く問うているように思う。
つづく
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