先週号の週刊アエラは、孤独に関する特集だった。タイトルは、「孤独は政府では解消できない―NPO理事長が語る支援のあり方」であった。以下が、その内容。 「孤独になってはいけないのか?ホームレスや生活困窮状態など孤立する人を支援するNPO法人『抱樸(ほうぼく)』の奥田知志理事長(55)に聞いた。-活動を始めて30年。毎日いろんなことが起きます。当初は一喜一憂していましたが、最近は『そんなことぐらいある。人間やから』と(笑)。これが言えるようになったのは恵みです。問題を解決せずとも、つながること自体が大事だと思うから。
孤独が問題になっていますが、時に孤独も必要ではないかと僕は思います。独りでいられない人が誰かと一緒にいることを求めると依存的になる。主体性が脆弱だからです。人は誰かと一緒にいるからこそ、独りになれる。一方、誰ともつながれないまま独りになってしまうのが『孤立』。誰かとつながることと独りになることは一対なのです。社会が無縁化した背景に自己責任論があります。個人や身内に責任を押し付けることで、社会の責任が曖昧にされてきた。他人とかかわることは、多少なりともリスクを負います。だから『かかわらないことが安全』と多くの人が考える。その結果、セーフティーネットに穴が開き、危険な社会となりました。社会とはそもそも人が健全に傷つくための仕組みだ、と僕は考えます。『絆(きずな)』は『傷(きず)』を含む。孤立状態になると、助けてと言える相手がいないだけでなく、相談にも来ない人がいます。自分の現状認識が難しい事態になっているからです。僕らの目指す支援は、細い糸のようなもの。専門家が行う支援は、ロープのようなもの数本で確実につなぎ留めます。でも1、2本が切れるとすぐにガタガタに。だから素人であっても細い糸100本、1000本でからめ捕る方がいい。10本ぐらい切れてもごまかせるわけです(笑)。『質より量』が大事。なぜなら関係が勝負だからです。それが、これから先の地域のイメージです。
僕は国家に孤独を埋めてもらおうとは思いません。独りでいることが担保されないままで国家が一つの大きな学校のようになった時、そこで承認されなかった人は行き場を失ってしまう。政府が孤独解消を施策として進めれば同化が強まるだけで、いろんな人と一緒に生きていく社会にはならないと思います。」(以上本文)
タイトルは「孤独は政府では解消できない」であるが、厳密には「孤独を政府に解消させてはいけない」ということ。確かに政府や国がやることはあるかもしれない。心配なのは、国家への帰属意識や統合意識を国民に持たすことで孤独を埋めるというやり方。これでは個が無くなる。つまり、個人が自己を国家に同一化させることで孤独を埋めるやり方は全体主義への道につながる。戦争の時代、多くの人は孤独から解放されたのではないか。「一億総火の玉」と団結したが、それでは孤独は解消しても、個性も個人の自由も失われた。あの時代に戻してはならない。承認欲求は誰しも持っている。だが、自分を無くしては、真の孤独は解消できない。
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