社会

9/4巻頭言「知ることを思うことへと深める営み」

僕は確かに知っている。2011年3月11日に福島で何があったかを。細部にわたり知っているわけではない。現地で体験したのでもない。でも「知らない」とは思っていない。
あの日私は、九州にいた。大きな揺れを感じることもなく、妻からの電話で「大震災」を知った。二日後に長男の卒業式があり、家族で島根に向かった。12日。福島第一原子力発電所一号機が爆発した。「とんでもないことが起こっている。今後、日本はどうなるかわからない」と息子に告げたのを覚えている。
その後、北九州に戻り現地支援の体制を整えた。現在の「公益財団法人共生地域創造財団」はその時生まれた。同時に北九州市と相談し「遠隔地避難」の仕組みである「絆プロジェクト北九州」を立ち上げた。以来、東北に通っている。
先週の礼拝後、僕は仙台に向かった。現地スタッフと合流し福島へ。双葉町の避難解除を翌日にひかえていたが町は静かだった。2020年に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」を初めて訪ねた。当時の様子を伝える資料や証言で構成された展示は、現在も続く苦難を示していた。一方、原発政策の問題やその責任などは曖昧だと感じた。
そんな中、何よりも考えさせられたのは、自分自身のことだ。確かに僕は福島原発事故のことを「知っていた」し、その後も10年以上、現地と関わり、いろいろと「知識」を得た。当時の政府関係者から事故直後の日本政府内の様子も聞いたことがある。そんな「知っている僕」は、展示を見ながら財団職員に「あの日、四号機を巡ってこんなことがあったそうだ」などと解説した。
だが、それは「知っている」に過ぎない。「知っているに過ぎない人」が福島のこと、原発のことを語る。帰りの飛行機の中でそれが痛かった。何が足りないのか。はっきりしている。「思い」が足りないのだ。「知っている」と「思っている」は違う。知ることは大切だし、知らないと始まらない。僕自身、原発事故についてあれこれ「知った」ことは決して無駄ではない。だが「思い」はどうだろうか。本当に学ぶということは、「知ることを思いへと深める営み」なのだ。
原発事故のことを知らない人はいないだろう。だが「思っている人」がどれだけいるか。僕は久しぶりに福島を訪ね、スタッフの持参したガイガーカウンターの数値を気にしつつあちこち回り、少しだけ「思い」をもって帰ることができた。思わないとダメなのだ。「知ること」はネットがあれば何とかなる。だが、人が「思いを馳せる」ためにはそれでは足りない。ではどうするか。現地を訪ねる。それも大事だ。でも、そんな単純なことでもない。「知ることから思うことへ」。それが共に生きる営みであり、それは「祈り」のようなものだと思う。これからも思い続けたい。

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