自立支援住宅での半年間は、第一に「自立に必要な物の確保」にあてられる。就職支援、生活保護申請、病院受診、年金手続き等、野宿状態では手に入れることが出来なかったことをまず確保する。だが、それだけではない。なぜならば、自立が孤立で終わってはいけないからだ。だから、この期間におけるさらに重要な目的は、担当者との「つながりの構築」だと言える。そして、この「つながり」は、相互的であり、「支援―被支援」の関係に留まらないものを目指す。相互に「助けて」と言える伴走関係を構築するのだ。
今の時代、自立を果たしたとしても盤石な生活が待っているわけではない。四割を超えた非正規雇用という不安定な就労。就労に限らず、社会全体が不安定化している現状においては、一旦自立することが出来たとしても数年後には第二の危機、第三の危機が訪れることは十分あり得る。その時、誰に「助けて」と言えるかが勝負になる。この意味で、自立支援住宅は、ハウスレスの解消と同時にホームレスからの脱出をかけた半年なのだ。
2008年5月に松井さんと共に自立支援住宅に入居した方々は、その年の12月に無事地域へと出発されていた。拘置所にいた松ちゃんだけは出発式に出られなかった。いや、それどころか野宿に戻るかも知れないという危機の中にいた。遅れること一カ月以上、松ちゃんは、地域での暮らしを始めた。自立支援住宅運営委員会では、松ちゃんのために「ひとりだけの出発式」をすることになったのだ。
伴走してきたボランティア一人一人から「励ましのことば」が語られた。松ちゃんは、いつになく真剣な面持ちで聞き入っていた。
「松ちゃん ご出発おめでとうございます。初めて会った時の あの少年のような目は、今松井さんの日々の中で 輝いています。これからも 頑張ってください。応援します。」(Y・ T)
「松井さん、出発おめでとうございます。支援住宅に住んでいた頃の松井さんと今の松井さんは全くの別人のようです。昔の松井さんはめちゃめちゃな時もあったけど、それでも一対一で話をしたら、とても面白くて優しい人でした。松井さんの怒った顔、泣きそうな顔、申し訳なさそうな顔、照れた顔、嬉しそうな顔、すべてが人間らしく好感が持て、応援したい気持ちになりました。最近は笑顔以外はなかなか見れなくて、ちょっと寂しい気もするのですが、これからはボランティアの仲間として、一緒に泣いたり笑ったりできる事を楽しみにしています。」(M・S)
「飲んでいた頃と、裁判中の松井さんは、とても厳しい顔をしておられました。けれどおつとめを済ませてからの松井さんには、柔らかな表情が増えたように思います。ずっと笑顔でいてもらうためのお手伝いを、これからもさせてもらいます。よろしく。ところでよかったら、入れ歯など入れてみませんか?」(M・T)
つづく
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