社会

7/19巻頭言「ポストコロナを生きるために その⑪」 

では、「物語」は何によって生まれるのか。抱樸は、それを「他者との関係」だと考えてきた。菊池さんの場合、それが「相談支援」ということになる。「従来の給付」と共に「相談支援」、すなわち「手続き的給付」が必要となる。物質的なニーズと共に孤立が解消されないと人は「自律」できない。「問題解決よりもつながりを目的とする」伴走型支援において「相談支援」は、「生きる意味」や「物語」を創造する支援だと言える。
今回、給付の拡充を歓迎しつつも、相談支援(手続き的給付)の整備が追い付いていないことが心配だ。医療崩壊だけは何としても避けなければならないが、今後相談崩壊が起きないか心配だ。「濃厚接触回避」を考えざるを得ないコロナ状況において、それでもなお「相談支援」が必要であること、あるいは、それを如何にして可能にするかを真剣に議論しなければならない。繰り返すが、人が人を支えるからだ。
抱樸のクラウドファンディングでは、すでに全国105の相談支援現場にマスクを届けることが出来た。今後、感染防止と相談事業を両立されるためのタブレット端末やインターネット環境の整備のための資金提供を行う。当然、「感染覚悟でやれ」とは言えない中で、相談支援をどうやって確保するのか。私達は走りながら考え続けている。
5、臭いと出会い―おいそれとは「新しい生活様式」とはいかない私
コロナ状況の中、テレワークをはじめ、ある意味「苦肉の策」として選び取った「手法」が「新しい生活様式」として定着しつつある。私の場合も、あの忙しかった日々は過去となり、ここ数か月は自宅にこもり、やれネット会議だ、ネット講演会だ、さらにネット取材だと「新しい生活様式」に半ば強制的に移行させられている。「アナログ」な私には、実に違和感が続く日々である。
そもそもそんなに素早く「新しく」は成れない。ネット会議が終わる。「退出」というボタンを押す。目の前の人はいなくなり、私はそのまま椅子に残される。「退出」などしていない。そして、すぐに次のネット会議が始まる。極めて効率化した会議システムによって、従来のダラダラした会議は短時間で終わるようになった。よかったかも知れない。だが、私は窮屈さを感じる。そこには「オン」しかない。「オフ」がない。「無駄」というか「遊び」が無いのだ。あああ、それと会議終了後の「オフ」も無くなった。これまで二時間の会議の後、三時間飲んでいるということもしばしばで、一見「どうでもよい」と思われる時間が私には重要だった、といま気づく。ネットで取材を受ける。PCに映しだされる私は胸から上だけ。取材の途中「僕が今ズボンをはいていないのをご存知ないでしょう」と冗談を言う。たとえ、それが事実だとしても何ら支障はない。見えないところは無いのと同じだ。
つづく

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