社会

7/24巻頭言「身内の責任-無縁社会の果てに」

安倍元首相が銃撃され亡くなった。政府は9月に「国葬」を行うことを閣議決定した。「国葬」に関しては前週の「巻頭言」で述べたのでそれを参照いただきたい。
襲撃事件が起きた時、選挙期間中であったことや安倍元首相がまさに選挙の応援演説中に銃撃されたこともあって「民主主義に対する攻撃」「言論に対するテロ」と各政党やマスコミが声を上げた。その後、「旧統一教会」に母親が入信し多額の献金などにより一家が崩壊したことが事件の動機であることがわかり、単に「言論弾圧」とは言えないことが判明した。
容疑者自身が事件直前にあるジャーナリストに宛てたとされる手紙には「私と統一教会の因縁は約三〇年前に遡ります。母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の十代は過ぎ去りました。その間の経験は私の一生を歪ませ続けたと言って過言ではありません」と綴られていた。家族を破綻に追い込んだ「世界平和統一家庭連合(現)」とそのグループに対する「復讐」、あるいは今後自分たちのような被害者を出さないための行動だったとも言える。標的となった安倍元首相は、直接この集団の一員ではなかったが、様々な場面でこのグループを応援していた。無論、たとえそうであっても暴力行為が認められることはないし、第一それをしてしまうと自らが非難している集団と同様の行為をしてしまうことになる。そのことは「私は『喉から手が出るほど銃が欲しい』と書きましたがあの時からこれまで、銃の入手に費やして参りました。その様はまるで生活の全てを偽救世主のために投げ打つ統一教会員、方向は真逆でも、よく似たものでもありました」と書いている通りである。
 この教団の問題は2001年に最高裁において教団敗訴が確定した「青春を返せ裁判」によっても明らかにされている。ただ訴訟を起こしたのは教団を脱会できた元信者であって、現在も信者であり続けている人々は訴えない。ましてや今回の容疑者のような家族や「二世信者」となると訴えることも難しい。「個人が自分の人格と人生を形作っていくその過程、私にとってそれは、親が子を、家族を、何とも思わない故に吐ける嘘、止める術のない確信に満ちた悪行、故に終わる事のない衝突、その先にある破壊」と自らの人生を振り返る容疑者(先の手紙)。そこには、カルト宗教にのめり込む母親に対して成す術がない苦しさに加え、「それは身内の問題だ」と一線を画す社会に対する思いがあるように思う。「身内のブラックボックス化」は、児童虐待、DV、ヤングケアラー、8050など、社会のあちこちで顕在化している。私たちは、「自己責任」「身内の責任」と言うことで関わることを敬遠してきた。幼い頃から母を奪われ、振り回され続けた「息子」がどれだけ孤立状態であったかを考えることもこの事件の重要な視点であると思う。繰り返すが、だとしても襲撃はダメ。だが「山上さん家も大変ね」とやり過ごす地域社会の現実、裁判で敗訴した宗教教団とそのグループを応援し続ける政治家たち存在。罪は憎むが、彼が陥った孤独の深淵に広がる闇の深さを私は思わざるを得ない。

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