「暴力的」な時代になった。この間の東京都知事選などを見ていると選挙が「暴言」と「暴力」の場となり果てたと感じる。「暴力的」で「差別的」なことを言った人が人気を博す。「暴力的」な発言がウケるのは、人々の中に「現状に対する不満」があるからだ。「裏金問題」一つを取っても権力者の堕落は見るに堪えない。そんな「現状」を十把一絡げにして「既得権益」と括り「ぶっ壊す」と宣言する人に惹かれる。そんな気持ちも解からなくもないが「中身」の無い「ぶっ壊す」はただの「暴力」に過ぎない。創造的でもなく人の心に「不信」や「懐疑」を育むことになる。
世界を見れば「言葉」に留まらず「直接的な暴力」が続いている。ウクライナで、ガザで人々が殺されている。コロナ禍で「病気で死ぬ」という恐怖からようやく解放されたのに「戦争で死ぬ」という恐怖からは脱することが出来ない。
今年も7月26日が近づいてきた。8年前のこの日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で虐殺事件が起きた。犯人は、この施設の元職員で「障害者は生きる意味のないいのち」と主張し一九人を虐殺した。戦後最悪の事件と言われた。
戦争、やまゆり園事件、ヘイトスピーチ、困窮者や生活保護世帯に対するバッシング、民族差別、いじめなど世界は「暴力」に満ちている。「暴力」や「暴力的発言」はその実行者、加害者によって行われる。だから直接手を下していない人は「自分には関係ない」と考えている。しかし、そうだろうか。「暴力的」な主張に「いいね」(承認ボタンを押す)した時点であなたも加担したことになる。
さらに「暴力的」だと思うのは、そんな酷いことが起こったにも拘わらず私たちはそれを「忘れる」ということだと思う。「直接的な暴力」を行使せずとも「忘れる」ことは十分「暴力的」であり、新たな「暴力」を生み出す苗床をつくることに。「やまゆり園」から八年を前に「忘却」の「暴力性」を思う。ウクライナもガザも、そして能登も福島も暴力的に忘れられようとしている。
ドイツの敗戦40年にあたる1985年。当時のワイツゼッカー大統領が連邦議会で行った演説がある。「問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
「暴力」に対抗するために私たちは「記憶」する。心に刻む。酷い出来事、酷いことば、何よりも傷つけられた人々の存在を「忘れない」。それが「暴力的」な時代への対抗文化となる。先週の能登を訪ねた。「NOTO, NOT ALONE(能登はひとりじゃない)」と書かれたポスターを見た。「暴力的」に「忘却」が進む中、この叫びを心に刻みたいと思った。
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