それから数日。実に穏やかな日々が続いた。
入院から一週間になろうとしていた日曜日。礼拝や午後の行事も一段落した頃、病院から電話があった。「あの、松井さんですが、本日退院となりますのでよろしくお願いします」とのことだった。「何かあったのですか」と尋ねると「ええ、いろいろと。ご本人も、帰ると言っておられますので」とのことだった。「それって強制退院ですか」と尋ねると「まあ、そういうことです」とのことだった。電話口に出てきた松ちゃんは「奥田さん。俺は何もしてない。ほんとに」と言う。いつものようなふざけた感じはない。ただ病院側もいい加減なことではここまでしない。こういう時は、事実はさほど意味がない。退院となれば、アルコール依存症治療のチャンスを逃すことになるが、つながりのチャンスを得ることは出来る。入院をお願いしておいて、こういう言い方は申し訳ないが、入院だけではアルコール依存症は治らない。何度もそんな現実を見てきたし、院長先生もそれはよくご存じだったと思う。事件はお互いが試される時だ。ここでどう動くかが、今後の展開に関わる場面である。
そもそも「足りなかった」のだ。あるべきものが僕らと松ちゃんとの間に十分に構築されないまま入院にならざるを得なかった。「そっちに帰っていいか」と松ちゃんは言う。「良いに決まっている。松ちゃん帰るところはここやんか。もう路上はない。それから、これでいなくなったら俺は嫌やから。ものすごく落ち込むから。荒れて荒れて、何するかわからんから。責任取ってや」「そんなん取れん。でも、だったら帰るわ」と松ちゃんは応えた。病院のスタッフに何度も「すいません」と謝った。電話の横にいる松ちゃんに聞こえるように大声で「ごめんなさい」と。
「でも、松ちゃん。僕は、今日は迎えに行かへんで。だから松ちゃん、自分で帰っておいで。待っているから。松ちゃんは、自分で帰らんといかん。僕らは待ってる。だから帰っておいで。お金あるか」「わかった。今から帰る」と松ちゃんは電話を切った。松ちゃんが「帰る」と明言した初めての場面だったと思う。そう、松ちゃんは「帰る」と。
1991年。夜間に中学生がホームレスを襲撃する事件が多発した。被害者の親父さんと一緒に教育委員会や中学校を訪ね、対策の必要性を訴えた。しかし、当時の社会は(今もさほど変わらないが)「ホームレスをしている方が悪い」という空気を漂わせていた。被害者をさらに失望させる社会の現実に僕は絶望した。しかし、その帰り道、被害者である親父さんがこう言ったのだ。「一日も早く襲撃を止めてもらいたい。でも、夜中の1時、2時にホームレスを襲っている中学生は、家があって帰るところがない。親はいても誰からも心配されていないんじゃないか。俺はホームレスだから、その気持ちわかるけどなあ」。その言葉は、その後の僕自身や抱樸の基本的視座を与えるものだった。松ちゃんには「帰るところ」が見え始めている。でも、迎えにはいかなかった。これで自分から帰ってきたら、新しい関係が生まれる。僕はそう思っていた。
つづく
この記事へのコメントはありません。