社会

4/26 巻頭言「たとえて離れていても ステイホームとフロムホーム」

 新型コロナの感染が止まらない。東京都知事は、大型連休を「いのちを守るステイホーム週間」として「あなたの命を、家族を、大切な人を、社会を守るため新型コロナウイルスの感染拡大をくい止める。大型連休の外出を自粛。STAY HOMEウチで過ごそう!」と呼びかけた。感染拡大を止めるためには、8割の行動制限が必要。東八幡教会も礼拝は自由参加(自宅で礼拝を守る)とし、教会活動の8割以上を制限した。
 確かに「ステイホーム」は重要だ。だが、それだけでは「いのちを守る」ことは出来ないと思う。なぜならば、この社会には「ステイホーム」出来ない人々がいるからだ。仕事に出ないと生きていけない人がおり、テレワークでは成立しない仕事がある。雇い止めや派遣切りで社員寮を出された人、ネットカフェの閉鎖に伴い居場所を失った人々など、「家」が無い人はそもそもステイ出来ない。
 政府のマスクが届き始めた。今後、全国民に10万円が配られる。これで一時をしのげる人はいる。ただ、マスクも給付金も届かない人も存在する。これらの人々は、今どのような気持ちで過ごしているだろうか。「自分は忘れられているのではないか。」「自分は見捨てられたのではないか」。私達は、「家の中で」、彼らのことを心に刻まねばならない。彼らの孤独を想像しなくてはいけない。そして、彼らに伝えるのだ。「あなたのことを忘れていません。あなたを独りにはしません。見捨てません」と。
 ステイホーム(家にいる)は、「感染しない、感染させない」という意味で「いのちを守る」ことになる。繰り返すが、それだけでは足りないのだ。「家からできること(フロムホーム)」を考えよう。ステイホームがフロムホームと一体となる時、私達は本当に「いのちを守る」ことが出来る。たとえ遠く離れていても、私たちは寄り添うことが出来る。
 給付金支給が発表された直後、ひとりの男性が訪ねてこられた。「給付金をもらえない人のために使ってください」と封筒を渡された。中には10万円が入っていた。まだ、給付は始まっていないが、すでに困っている人がいるだろうとその方は仰った。翌日、今度はこのようなメールが届いた。「いつも困っている方々の力になっておられる皆さんに敬意を表します。布マスクを有効利用してくださると知りました。届き次第お送りしたいと思っています。また、ひとり10万円もホームレスの方には届かないのではと心配です。私には家もあり生活も賄えていますので、そのお金も支援したいと思います。ほんとに困っている人に届くならとてもうれしいです。お忙しい中恐れ入りますがよろしくお願いいたします」とあった。胸が熱くなった。この国はまだ大丈夫、と思えた。
「人と会わないことがいのちを守ることになる」。確かにそうだ。だが貧弱だ。薄っぺらな「大儀」に身を隠し、実際には他人のことなど考えていない。もしそうならばコロナを生き延びたとしても、そんな国(民)はいずれ滅びる。「家から」できることを考えたい。
 イエスは、他者の十字架を負うことで愛を示された。家でじっとしているだけはダメだということだ。

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