平和

3/31巻頭言「眠ることもできない―2019年広島平和の旅閉会礼拝」

 原爆死没者慰霊碑のことばを覚えていますか。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」でしたね。「過ち」って何ですか。「戦争」「けんか」「原爆」、そうですね。これを繰り返さないのは、残された者の責任です。
 「安らかに眠って下さい」と書かれています。あの時、原爆でつらい思いした人、痛かった人、しんどい思いをした人がいました。だから、その人たちに「もう苦しまないで安らかに、眠ってください」と祈る思いが、あの言葉の意味だと思います。
 では、「過ちを繰り返さない」ためには、どうしたらいいでしょうか。今を生きている私たちは、何をすべきでしょうか。それは「眠らないで」考えること、行動することです。つまり、忘れてはいけないと言うことだと思います。東八幡教会は、平和の旅を続けなければなりません。「過ち」を繰り返さないために何度でも広島に来ようと思います。確かに本当の平和になれば、この旅はおしまいにします。でも、残念ながら、この旅は当分終わらないでしょう。なぜなら、今の世界は再び「過ち」を繰り返しそうになっているからです。
 そうなると、そもそも原爆で殺された人々も「安らかに眠る」ことなどできのではないでしょうか。今のような世界を見ると「安らかに眠ってなどいられない」と思われるのではないか。
 イエス様は繰り返し「目を覚ましていなさい」と言われました。マルコ福音書13章には、3回「目をさましていなさい」ということばが出てきます。「眠っている場合じゃない」とイエス様は、言われます。
 「原爆ドーム」は、もともと「広島県産業奨励館」という建物でした。戦後そのまま放置されていましたが、1966年に広島議会が永久保存を決定しました。戦後21年後のことでした。なぜならば、あの建物を残すことには、賛成の人も反対の人いたからです。なぜ、反対したのでしょう。それは、あの建物を見ていると「つらい思い出がよみがえる」からだと思います。しかし、それでも広島の人々は永久保存を決定しました。なぜでしょうか。「忘れられては困る」からです。「眠らない」と広島は決めたのです。「過ちを繰り返さない」ために。今の大人は、みんな眠りこけているかも知れません。でも、君たちはしっかり目を覚ましていて欲しいと思います。
 でも、「眠らない」と言っても、人は起き続けることはできません。眠らないと死んでしまいます。眠って忘れたい日もあります。聖書の詩編121編にこんな言葉があります。「イスラエルを守る方(神)は、まどろむこともなく、眠ることもない。」人は、眠ってしまう。だから、神様が眠らずいてくださるのだと思います。眠らない神様に励まされながら、私達はできるだけ眠らず生きていきたいと思います。今回の旅もこれでおしまいです。しかし、私達は学び続けます。忘れないために、何度でも広島を訪ねたいと思います。

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