(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
昔、お婆さんが「指をなめなめ」新聞を読んでいた。お爺さんは「指をなめなめ」お札を数えていた。子どもだった僕は「汚いなあ」と思いつつ「あんな年寄りには絶対ならない」と心に決めた。
最近、スーパーのレジ袋が有料になった。「袋いりますか」と言われ「はい」と答える。店員さんがレジ袋をカゴに入れてくれる、だが、それからが大変。どうしても入り口が見つからない。何とか入り口を捜そうとするがピタリとくっついて手ごわい。それで「指をなめなめ」袋を開ける。不思議にスルリと開く。心なの中で手を合わす。「汚いお爺さんとか言ってごめんなさい。僕も立派な汚いお爺さんになりました」。今年僕は還暦を迎える。
なぜ、こうなるのか。歳を取るにつけ水分がなくなるからだ。胎児は9割が水、子どもは7割、成人で6割、老人になると5割にまで減る。だから年を取るほど「なめなめ」せざるを得ない。水分とは柔軟さでもある。子どもが転んでもケガをしないのはほとんど水でできているからだ。老人はそうは行かない。
身体の柔軟さのみならず「心の柔軟」ということにも「水」は関わっている。柔軟さを示す言葉に「ユーモア」がある。「あの人はユーモアのある人だ」と言うと、それは「洒落」や「笑い話」が得意な人ではなく「柔軟な思考」が出来る人を指す。「ユーモア」の語源はラテン語の「フモール」。「液体」とか「流動体」の意味。液体は自由に形を変える。四角い器に入れれば四角くなり、丸なら丸になれる。この柔軟さこそユーモアの本質だ。
体内の水分は年々減っていくが、人は時の流れと共に「ユーモア」を身に着けて生きていく。体力の低下も手伝って根を詰めて悩むことが無理になる。「まあ、そんなこともあるわ」と適当にかわせる。素敵な生き方だと最近思える。
さて、還暦の一年が始まる。水分は減っていき「指をなめなめ」やっていくしかないが、ユーモアのセンスだけは磨き続けたいと思う。
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