社会

12/9巻頭言「バカは叫ぶ、進め!」

 この間の国会運営を見ていると「呆れる」どころか、「恐ろしく」なってくる。まるでブレーキが壊れた自動車だ。国民への説明や国民の理解など、あざ笑うかのような「裸の王様たち」が好き勝手に決めていく。種子法、水道法、入管法、生活保護基準。これで良いのか。この勢いで「憲法」までもが議論もないまま、好き勝手にされたら大変なことになる。もはや「憲法の中身がどう変わるか」の問題ではない。そういう「ものの決め方」が問題なのだ。ただ、このような権力者たちの傲慢は、国民の非主体的態度によって醸成される。国民が主権者、国は国民のもの―そのことを私達が認識すべきだ。
 「腰まで泥だらけ」という歌がある。アメリカのピート・シーガーが1966年に書いた。1942年のルイジアナ。川を渡る演習を行った軍隊が題材だ。軍曹は、「こんな重装備では泳げない」と隊長に告げたが、隊長は無視。「自分は前にこの川を渡った。そんなことでどうするか。必要なのは決心だ」と言い、自分に続けと命令する。だが次の瞬間、隊長はおぼれる。軍曹は「引き返そう」と声をかけ、部隊は生き延びる。隊長は、以前渡った時よりもその川が深くなっていたことを知らなかったのだ。曲の最後で「僕らは首まで泥だけ、だが、バカは叫ぶ進め」と繰り返される。この曲は、当時ベトナム戦争の泥沼に突き進み、引き返すことができない米国の姿を歌ったと理解され、放送局が自主規制の対象とした。国が権威主義的な愚か者によって「誤導」され時、国民は一体どうなるか。
 曲の最後で「バカは叫ぶ、進め」が繰り返されるが、原曲では最初「the big fool said to push on」(大バカ者は叫んだ!進め)が、その後は「the big fool says to push on(バカは叫ぶ、進め」)と現在形になっている。また原曲では、軍曹に対して隊長が「Nervous Nelly(臆病者)」と叱責する。きな臭い時代、平和や和解を説くと「臆病者」と叱責される。戦艦大和が無謀な船出をした時、多くの海軍関係者は、それが無駄であることを知っていた。だが「止めましょう」とは言えなかった。その過ちを私たちは繰り返しているのではないか。ちなみに日本では1967年に中川五郎が日本語に翻訳し歌った(こんど歌ってもらいましょう!)。岡林信康や元ちとせが「平和元年」というアルバムで熱唱している(カッコイイ!!)。
 ピート・シーガーは、曲の最後で「モラルを語るつもりはない。自分たちで考えるべきだ」と歌う。権力者は実は弱い存在だと私は思う。彼らだけでは実際には何もできない。その「大バカ者」を許しているのは実は私たちなのだ。高圧的に迫られようが、お金を見せびらかされようが、「臆病者」と叱責されようが、私たちは「自分で考える」。もし、そうしなければ私自身が「大バカ者」に過ぎない。権力の「誤導」を防ぐ最大の武器は、「自分で考えること」だ。
 イエスは言う。「あなたがたは、雲が西に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。偽善者よ、あなたがたは天地の模様を見分けることを知りながら、どうして今の時代を見分けることができないのか。また、あなたがたは、なぜ正しいことを自分で判断しないのか。」(ルカ福音書12章)。

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