新型コロナによって私達の生活は大きく変えられた。不便になったことも多いが、これを機にいろいろ考えさせられたのも事実。神は無意味なものをお創りになられる暇はない。
新型コロナが中国の武漢で問題になったのは、昨年末のこと。その後、病気は瞬く間に世界中に広がった。3月にはWHOがパンデミック(世界的大流行)であることを宣言。パンデミックは、私たちを不安にした一方で、「世界は人で繋がっている」という事実を確認させられた出来事でもあった。私は、少し「ホッとした」。この病気は、「人から人へ」感染する。瞬く間のパンデミックは「世界が人で繋がっている」ことを証明したのだ。「グローバル」と言えば「経済」のことだと思ってきた。金融や流通、あるいは情報ネットワーク。グローバルは、そういう現状を示す言葉だった。だが、それだけではない。人と人とのつながりがグローバルになっている。飛沫感染という現実からすると「濃厚接触」が世界規模で起こっていたのだ。改めて言う、「世界は、人で繋がっている」。新型コロナは、そんな事実を私に教えてくれた。
米国では大統領選挙の終盤を迎えている。トランプ大統領は、相変わらず「自国第一主義」を掲げ、それを熱狂的な支持者が支えている。「われわれは、ウイルスとの戦いの重大なときにある…わたしは米国民の生命と健康、安全を守るために必要ないかなる手段を取ることも躊躇しない。いつも米国第一を大事にする」。WHOのパンデミック宣言を受けてのトランプ大統領の演説である。トランプだけではない、「自国第一主義」を掲げるリーダーは増えつつある。
だが、そんなことはできない。コロナウイルスは、国境も宗教も人種も超えている。対象は人類。この期に及んで「自国だけ」は無理な相談である。人類は一致団結して、この病気に立ち向かわねばならない。こんな時、戦争の準備にお金を使っている場合ではない。ウイルス対策のみならず、経済対策、失業対策など、どれだけお金が必要になるかわからない。世界は今、本当の国際協調へと踏み出すチャンスを迎えているのだ。それが出来なければ、私たちはコロナ禍を乗り越えることはできない。
11月3日は文化の日。日本国憲法が発布された日である。コロナの時代に「日本国憲法前文」を心に刻みたい。「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる」。コロナは、この言葉の普遍的価値を明示したのだと思う。ここに書かれている通りに私たちは、そして、世界は、生きたいと思う。そうできたなら、この苦難もまた復活へと向かっていると言えるのではないか。
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