生きる

10/21巻頭言「『もう変わらない』と言える日」

 先日第10回ゴーイングホームデイが開催された。毎年最後に理事長賞を発表する。これはその一日で印象に残った人を私の独断と偏見で選ぶというもの。この日の理事長賞に選ばれたのはTさんだった。
 午後のかくし芸大会の時、「三十年前の私」について何人の方が語られた。Tさんの番になった。「三十年前のことは言えんけね。良いことやったら言えるけど、言うとみんなに迷惑がかかるからね。いろいろあったから」と仰った。私とTさんが出会ったのは、15年以上前だと思う。だから、少なからずTさんの事は知っている。出会った頃、すでに30年前の「ヤバい世界」とは縁を切られていたが、それでもいろいろあった。「迷惑かかるから」と仰るのは、わかるような気がする。そのTさんがゴーイングホームデイに笑顔で参加されている。感動した。理事長賞をお渡しした時、「ありがとうございます。俺も大分変わったけね。でも、もう変わらんね。もう変わらんと思う」と噛みしめるように仰った。
 「もう変わらん」は、「もう昔に戻らない」と同時に「変わる必要がないほど今がいい」という宣言だ。そして「あの頃には戻らない」という決意でもある。Tさんがそんな宣言をする日が来るとは思えなかった。でも、この日はやってきた。
 そういうとFさんもそんなことを言っておられた。Fさんが我が家に来られたのは2年半前。Fさんも、いろいろあった方。出会うきっかけとなったのは下関駅放火事件。出所後、初めてのお正月を我が家でみんなと過ごされた。恒例で「今年の抱負」を全員が語る。「抱負は?」という私の問いに「このままで良いです」ときっぱり。22歳で最初の逮捕。以後、刑務所に入ること11回。実に86年の人生で内50年以上を刑務所で過ごされた。そして、ついにたどりついた「このままでいい」。これにも感動した。
 私たちの活動を支えたのは「人は出会いによって変わる」という希望だった。かつてある親父さんがこう言った。「仕事を無くし、失業者になった。もうこれ以上は悪くならないだろうと思っていたが、まだその下があった。家族が出ていった。最悪の日だと思った。しかしその下があった。家を無くしてホームレスになった。これ以上は悪くならないだろうと思っていたが、その後もどんどんと落ちていった」。思いがけない出来事の連続で望まぬ変化を強いられた人々がいる。しかし、そんな風に変わることができるならば、良い方にも変わることができるはず。人は失い孤立する中でどんどんと悪く変化し、出会うことでどんどん良くなる。そうやって好転し始めた人がついに「もう変わらん」「このままでいい」と言える日が来る。これこそが「本当の希望」だと思う。
 「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」(ガラテヤ5章)。そうなのだ。解放された者は、二度と奴隷にはならない。それが本当の救いなのだ。TさんもFさんも、「変わらずこのまま」楽しく生きてほしいと思う。「人はいつか変わる」も良いが、「もう変わらない」も素敵な言葉だと思う。

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