社会

1/15巻頭言「あんたも わしも おんなじいのち」 西日本新聞エッセイ その④

(西日本新聞でエッセイと書くことになった。50回連載。考えてみたら、これをここに全部載せると一年かかるので飛ばし飛ばしやります。)
「あんたもわしもおんなじいのち」。これはNPO法人抱樸(ほうぼく)のキャッチフレーズ。実は、この言葉には少々痛い思い出がある。
作家の雨宮処凛さんが抱樸を訪ねられた後、こんなことを書いておられた。「なぜ『おんなじいのち』なのだろう?(中略)そんなに大きく書くほどのことなのかな。(中略)『おんなじいのち』と、常に声を大にして、テントにも大きく書いておかないと、そんなことすら理解してもらえない。同じ命という扱いを受けられない。それがこの国のホームレスを巡る実態なのだ」。そうだと思う。ただ、それは「国」だけの問題ではない。
当初炊き出しは市内に点在するホームレスを個別訪ね歩く形で行っていた。しかし、年々ホームレスの数が増え続け全部を回ることは出来ない状態になった。さらに「当事者」ということが課題となった。寝ている人のところに訪ね回るのではなく、まさに「当事者」が自分の事として活動をしていくことが重要だとの議論が起こったのだ。それで炊き出しのスタート地点を公園に定め、集まってもらい「当事者」自らテント設営などをしてもらうことになった。もちろん、その場に来れない人もおり巡回型の炊き出しも続けることとした。
テントが立ち上がる。中にボランティア、外側におじさんたちが並ぶ。私は「はい、ちゃんと並んで!」と呼びかけていた。すると列の中から声が上がった。「奥田さん、こないだまで弁当を一緒に食べてたやないか。なのに今日は俺たちに『並べ』と命令する。あんたいつからそんなに偉くなったんか。『あんたもわしもおんなじいのち』やないのか」。恥ずかしかった。「支援する側」と「支援される側」。「偉そうにしている側」と「情けなく並ばされる側」。私の中に分断ラインが出来ていた。
「おんなじいのち」。そんな当たり前のことを大きく書き続けなければならないのは私自身でもあったのだ。このことばは現在のテントにも描かれている。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。