この場所を借りて「反省の辞」を述べたいと思う。二〇〇八年九月のリーマンショックの後、これまで見たことない若者が路上に出現した。これまでのホームレス者とは明らかに違う。これまでのホームレス者の多くが、家族とは絶縁、あるいは「家族がいない」という状況だった。しかし、目の前の若者には、家族がいた。「一旦家に帰ったらどうか」と勧めるが、彼らは「帰れない」と答えた。「これ以上親に迷惑かけたくない」と彼らは言うのだ。親を思う優しい思いが痛かった。でも、それでいいのか。親たちは息子の帰りを待っていたと思う。現に親元に戻った若者もいた。たとえ親が待っていなかったとしても「迷惑かけない」と言った時点で「家族を否定した」ことになる。「親を大事にしたい」という思いとは裏腹に「迷惑かけない」のならそれは家族ではないと言わねばならないからだ。家族から迷惑を引くと何も残らない。まあ、私のように家族に迷惑をかけ続けている人が、そんなことを言ったら叱られるかも知れないが。
痛い思い出がよみがえる。二〇一二年抱樸館北九州の建築を発表した途端、地域で住民反対運動が起こった。住民説明会は八カ月間で一七回を数えた。住民は「ホームレスは危険」「迷惑施設」という。説明会は、抗議集会になり糾弾集会となっていった。最後は「奥田謝れ」ということになり、その度に「すいません」と頭を下げた。そして私は過ちを犯した。「決して迷惑はかけません」といつしか言うようになった。
だが、それは間違いだった。迷惑をかけないで人は生きることはできない。家族から迷惑を引いたら何も残らないと同様、地域から迷惑を引いたら何も残らない。当然、地域の方々が抱樸館に迷惑をかけたとしても、「そんなこともある」と受け止める。しかし、私はあの日々「決して迷惑をかけません」と言い続け「それでもかかったらどうするのか」との問いに答えることができず下を向いていた。「迷惑、たぶんかけますよ。それが何か。あなたたちもたぶんかけるでしょう。いいじゃないでか。それでも一緒に生きることができる。そんな優しい、安心できる地域をつくりましょう」と胸を張らなかった自分を反省する。こんなことを書くと、またぞろ糾弾が始まるかも知れないが、しかし、迷惑を否定し、排除する地域は、生き残ることはできない。迷惑をかけなければ生きることのできない自分自身を否定することになるからだ。
イエスは、突如として弟子の足を洗われた。ペテロは「めっそうもない。そんなこと申し訳ない」と遠慮する。しかし、イエスはきっぱりと「迷惑かけたくないとお前さんは言うが、それがないとお前と俺の関係が無くなる」と断言された。(ヨハネ福音書一三章)。良い話。
抱樸館ができて三年が経つ。もう少し地域を信頼し、迷惑をかけていこうと思う。いや、別に何か悪いことをしてやろうということではない。「助けて」と言いたいだけだ。そして、「助けて」と言われる抱樸館になりたい。そして、私はますます迷惑なおじさんになってやると心に誓う。
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