未来おっさん:福岡市博多区のチラシデザイン・印刷担当者サイト

【6.色弱デザイナーが出来るまで】Macを実践で使えるようにしよう!仕事を任せてもらえない色弱デザイナーの決意。

私は、色弱だ。
赤緑色盲と言う。

色をレイアウトに載せる事ができるようになったのは、ひとえにMacintoshのおかげである。
色弱のデザイナーは、名刺にこそデザイナーと書いてあるものの、ほとんどの仕事を、資料探しと、小間使いでその会社での生活の大半を過した。

入社して、1週間程の事だった。
色弱だと発覚、理解した社長との面談に連れて行かれる時には、頭の中が真っ白になった。
肩を落として、連れられて行った喫茶店では、顔を上げる事もできず、口の中から水分が干上がったような気がした。
腕組みをして、眼を閉じ無言の社長に
クビにしてください…。と消え入るような声で言ったと思う。
でも、平山さんとかには、色弱だからクビになったって言わないでもらいたいんです。
根性が無くて辞めたって言ってください…。

そう言った。

平山さんは、その会社で、いろいろと面倒をみてもらっていた先輩だった。
その当時、眼の事は、自分が最もバレたくない恥部であり、色の話をされること自体、身が竦む恐怖だった。
自分の価値がゼロになる!そんな感じ方をしたことがあるだろうか?

その時、社長から、何かしらの、慰めの言葉をもらったような気がした。
世の中の○パーセントは、色弱らしいなどと、どこから仕入れて来たかわからない話をしていた。
私は、色の仕事を放棄することを引換に、その事務所での仕事を続けることになった。

殆どの仕事を、資料探し。
小間使い。
トレース作業で過した。

10年間、色に携わることができなかった。
デザインの現場では、私は、不具合を隠し続けている身体に障がいを持つ者だった。

大手の印刷会社のアートルーム(外注)として、その事務所はあった。
その、親会社の営業が、色を見てくださいと来ると、断らねばならなかった。「バレないようにしてね。」というのが、社長のリクエストだった。

色弱の人間を雇っていると、会社としてまずい。
というのが理由だった。

会社自体が、社会のクズを抱えていることを隠そうとしていた。
ただ、ハードスケジュールで人が辞めるため、休日や、休みをもらっても自分から率先して出て来る人間は貴重だったのかもしれない。
人が足りず、デサイン作業が回らない恐怖の方を、恥よりも重んじた結果だった。

どんなにハードなスケジュールで、週に2時間の睡眠時間がとれない時期があっても、絶対にうたた寝をしなかった。
半端者が、惰眠をむさぼるなどは、とんでもない事だと感じていた。
そこまで私は卑屈になっていた。

そうこうしているうちに、空いた時間に、Macintoshを少し触るようになった。
会社が30万程のプリンターの購入を決意したは、ロゴトレースに使えると思ったからだ。
その当時のレーザープリンタは、モノクロで、綺麗なラインが引けた。
綺麗な円とアタリ罫(ケイ)と呼ばれる、0.3ミリのラインが引けた。
ロットリングのペン先が潰れる事も無く擦れる事も無い、瞬時に引くことができる綺麗なライン。
スプレー糊で、切り取ったコピー用紙を貼るだけで熟練工の仕事ができるようになった瞬間だった。

Macintoshの捜査では、AdobeのIllustratorというアプリケーションが欠かせない。
全く頭の中に無い概念を、マウスを使って習熟するのは、自分にとってさほど難しくなかった。
通常のデザイナーは、跳ねて、制御不能のIllustratorのパス。
覚えるのが面倒くさいキーボードのショートカット。
それらは、私にとって、あまり苦にならなかった。

熟練のデザイナーや版下屋は、書いた方が早いと愚痴を言ったが、私には、熟練しているもの、捨てるべきものが全く無かった。
むしろ、捨て去るものしか無かった。

Illustratorの習性が少しずつ理解出来るようになった。
ロゴのトレース作業を、Illustratorでやるようになった。

文字を打つ。
画像をスキャニングしてトレースをする。
それを繰り返しているうちに、デザインレイアウトが、絶対に組めるはず!と確信し始めていた。

昼休みにレイアウトを組んでみる。
熊本、某百貨店の地下1のレイアウト。
写真を取り込んで、文字を打ち込んで作れそうだと確信した。
それまで、文字のアタリを手描きのペンで入れ、トレースコープという機械で写真のアウトラインを入れていたものを、Macintoshでやってみた。

できた!
小さな一つの売り場のレイアウト。
50mm四方のカンタンなものではあったが、それは画期的な事であった。

写真が入るレイアウト。
色校が、レイアウトを組んでいく瞬間に見る事ができる。
色校のストレスが、全く消えた。

相変わらず、色弱の私は、そこに携わる事はできなかったが、色の組合せをCMYKの掛け合わせの数値を見る事で学んだ。

基本的な色は赤・青・黄色・緑・ピンク・たまに紫。

それらのバランスの良い組合せを数値で覚えはじめていた。
そして、3年のローンで、power Macintosh 7100AVを買った。

本当に眠るだけの小さな部屋の中で、大きな箱の梱包を必死になって解いた。
手に汗をかきながら。

起動音を聞いた時には、しばらく呆然とした。
一言で言うと、幸せだった。

パソコン通信のニフティサーブの会議室で、絵をアップロード、発表する。
コメントをもらう。
たくさん友達ができた。
今と違って、まだ、パソコン通信の中の世界は温かく、みんな優しく思いやりに溢れたいい人達ばかりだった。
2chなどという巨大掲示板など無い、インターネットさえ無い世界の通信の世界だった。

どんなに過酷な仕事をしていても、どんなに辛いことがあっても、逃げ込む場所があった。
昼休みは、自宅に帰って、白飯にマヨネーズをかけたものをほおばりながら絵を描いた。
それを、深夜3時に帰宅してニフティサーブにアップして、コメントがつくのを待った。

翌朝、ふらふらと立ち上げっぱなしのパソコンを操作し、「ComNifty」+「魔法のナイフ」+「NIFTY-J ぞーさん」+「茄子R」を自動で動かして、ログを読む。
きれいに分かれたスレッド。
会議室を次から次に切り分けられたものを辿って読んで行く。
それが、一日が始まる儀式だった。

会社の中では依然として、レイアウトを組ませてもらえない、色を見る事ができない、冴えない自分だったけど、この中では生きる場所があった。

それでも、Macintoshがあることが幸せだった。
おそらく、その幸せな思いがあったからこそ、今でもデザイナーとしてやっていける。
デザイナーとしてやっていくしかないとしか思えない人間の出来上がりだった。