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シロイチ

しろいち
 ある日、シロイチがやってきた。長男が四歳になったばかりで、長女はまだ二歳半。お母さんのお腹に赤ちゃんがいることを伝えると、二人は「やったー、やったー」と小躍りして、狭いリビングをぐるぐる行進した。そして長男が勝手に名付けたのが「シロイチ」。シロイチは、子どもたちの家族になった。
 しかし、つわりがひどい。起き上れないし、食事もとれない。シロイチは暴れん坊なのか、これまでで一番ツライ。病院に行っては点滴を打つ。「シロイチのご飯だから、ママがお出かけしても平気だもんね」と、子どもたちはシロイチのためならお留守番もできた。

 やがて寝たきりの五カ月が過ぎ、なんとかもう大丈夫だろうと、母子手帳をもらった。妊娠19週の文字を見てにんまり。やっとシロイチも一人前だ。子どもたちはシロイチの歌を勝手に作って口ずさんでは、相変わらずリビングを行進。お腹の赤ちゃんは、弟でも妹でもなく、シロイチなのだそうだ。
 日課となった点滴の合間に、腹部エコーで検診。エコーは一カ月ぶり。ぬるぬるとお腹の上をスキャナーが動いたとき、「赤ちゃんの心臓が動いてない」という先生の低い声。しばらくモニターを見つめていた先生は、昨日も聞いた「点滴打っときましょう」と同じ声のトーンで、「早く出さなきゃ」と言った。

 シロイチが死んだ?
 いつ?
 なぜ?
 つわりはまだ続いている。子どもたちは相変わらず踊っているし、歌だって……。
 ただ一つ変化したのは、私の体に陣痛促進剤が撃ち込まれたことだ。

診療所

 誰もいない家は静かだった。子どもたちは夫の実家へ預けた。義母は「子も産みきらんとね」と、ため息をつく。夫は出張。今夜にも、シロイチが〝生まれる〟というのに、私は一人だった。
 やがてシロイチにとって陣痛が始まり、深夜3時、タクシーを呼んだ。大量に流れ続ける血でタクシーを汚さないように毛布を体に巻き付け、ただ後部座席に転がって行き先を告げる。初老の運転手さんは「しっかりして!」と泣きそうな声を上げた。
 古い小さな産院に灯りがともる。金属の分娩台には新聞紙。私はここで、シロイチを抱くはずだった。血だらけの私を台の上に固定しながら、看護婦さんは「気づいてあげられなくて、ごめんね」とつぶやいた。
麻酔なしで手術が始まったようだ。冷たい器具の感触が肉をえぐる。痛い?こんなの麻酔なんていらん。もっと、もっと痛ければいい。脳裏から、行進する子どもたちの笑顔が消えてしまうくらい痛ければいいのだ。
 手術の終わりを告げた先生に「赤ちゃんを見せて」と頼んだ。目を見開いた先生は、思い切ったように金属の皿からシロイチをピンセットで取り出し、私の掌にそっと置いた。シロイチはとても小さくて、そしてただの肉片だった。シロイチを掌に抱いて、ようやく私は泣くことができた。

私のシロイチはもう死んだのだ。

 一週間後、帰ってきた子どもたちはもう、シロイチの歌は忘れたかのようだった。3人で散歩に行くのは久しぶりで、田んぼで草笛を吹いていたら、娘がぴーぴー草を差し出して「シロイチ、あげる」と言った
梅雨の湿ったぬるい風が吹き抜けていく畔道を私は、ぴいいいいっと、ぴーぴー草を鳴らして歩き出した。

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